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『ロバと王女』ライラックの魔法にかけられて、魔法の可能性と不可能性を描いたメルヘン

©2003 Succession Demy

『ロバと王女』ライラックの魔法にかけられて、魔法の可能性と不可能性を描いたメルヘン

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妖精とのつき合い方



 ジャック・ドゥミは、グレース・ケリーとモナコ大公レーニエ3世の結婚式を追ったドキュメンタリー『The Wedding In Monaco』(56)の撮影に関わっている。グレース・ケリーという特別な被写体、歴史的な建築物、モナコという土地の美しさ、豪華絢爛な祝賀の映像は、地上の天国と見紛うほどの幸福感に溢れている。この作品に関わった経験が、『ロバと王女』の撮影に反映されているのだろう。セット撮影よりも実在のロケ地を好むジャック・ドゥミは、ロワール地方にあるプレシ・ブーレ城、シャンボール城を使用している。また、ジャック・ドゥミはイタリア人の芸術家レオノール・フィニと仕事をする予定だった。レオノール・フィニのリトグラフにある、頭部を花で縁どる女性のイメージは本作の装飾や衣装に影響を与えている。花のイメージは、当時のヒッピー文化におけるフラワーチルドレンとも結びついている。王子と王妃が草原で無邪気に転げ回るシーンのデザイン等、これらの装飾は『ミッドサマー』(19)のような現代の作品に反響しているように思える。


 リラの妖精の髪型が1930年代のハリウッド女優のイメージを踏襲していることをはじめ、ジャック・ドゥミはおとぎ話の時空間を意図的に歪めている。未来の世界に詳しいリラの妖精は映画の黒幕であり、王様の王女への執着、そして王女の王様への執着の放棄に貢献している。王女と王子が無事に結婚式を挙げるとき、リラの妖精は王様を連れ添ってヘリコプターで颯爽と現れる。“近親相姦”の危機から免れた物語は、一見ハッピーエンドに終わる。しかしリラの妖精が王様と結婚したことを告げるとき、王女の顔はまるで喜んでいない。『シェルブールの雨傘』で王冠をかぶせられたジュヌヴィエーヴが表情を曇らせていったように、王女の表情は複雑な表情に変わる。このシーンは、ジャン・コクトー『美女と野獣』において、野獣が美男子(ジャン・マレー)に戻ったときのベル(ジョゼット・デイ)の戸惑いに似ている。王国の秩序は保たれたが、王女の気持ちは置き去りにされたままだ。


 『ロバと王女』には、父親の使命といえる“娘を手放す”という決断と、父親への執着を諦めるという娘の成長譚の両方が描かれている。それは通過儀礼だが、残酷な分かれ道でもある。魔法にも限界はある。魔法にはすべての人を幸せにするような万能性はない。人間の心の中にいる妖精は、幸せな方向にも不幸せな方向にも人を駆り立てる。王女はこのときの引き裂かれるような感情を、立派な城の立つ土地の下に永遠に封印することだろう。『シェルブールの雨傘』の美しい雪のラストシーンがそうだったように。『ロバと王女』はおとぎ話というフィルターを介して、容赦なく進んでいく人生の喜びと悲しみを描いている。



文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。



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作品情報を見る



『ロバと王女』

「ミシェル・ルグラン&ジャック・ドゥミ レトロスペクティブ」

全国順次公開中

配給:ハピネットファントム・スタジオ/アンプラグド

©2003 Succession Demy

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