1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. シェルブールの雨傘
  4. 『シェルブールの雨傘』ジャック・ドゥミの幸福論、人生における音楽と色彩の輪舞(ロンド)
『シェルブールの雨傘』ジャック・ドゥミの幸福論、人生における音楽と色彩の輪舞(ロンド)

©Ciné-Tamaris 1993

『シェルブールの雨傘』ジャック・ドゥミの幸福論、人生における音楽と色彩の輪舞(ロンド)

PAGES


『シェルブールの雨傘』あらすじ

フランス北西部の港町、シェルブールで、ささやかながら美しい恋をはぐくむ自動車修理工の若者ギイと傘屋の少女ジュヌヴィエーヴ。恋に恋する年頃のジュヌヴィエーヴに未亡人の母エムリーは心配顔。出かけるたびにうそをつきながらもジュヌヴィエーヴはギイと会う時間が嬉しかった。だがある日、アルジェリア戦争の召集令状がギイに届き、2人ははなればなれに引き裂かれるのだった。


Index


アニメーションとドキュメンタリー



 「13歳の時にカメラを購入し、映画制作を始めたのです。同時に文学、絵画、音楽にも興味を持っていました。バイオリンを弾き、絵画を学び、映画こそが私にとって最適な選択だと感じたのです。作家として、画家として、音楽家としての自分を表現できるからです。」(ジャック・ドゥミ)*


 幸せになることへの期待と幻滅がある。キャンディカラーの色彩が人生を彩る。口ずさむメロディがキャラクターを推進させる。『シェルブールの雨傘』(64)は、ヨハネス・フェルメールが描いた「デルフト眺望」にインスピレーションされた、絵画的なファーストショットで幕を開ける。シェルブールの埠頭を捉えた美しい風景。カメラが垂直にティルトダウンすると、雨が降り始める。赤、青、紫、白、様々な色彩の雨傘をさした人々が、次々と画面を通り過ぎていく。フレーム内に色を塗りつける。雨に濡れた石畳はキャンパスとなる。雨傘の色彩は絵の具となる。ミシェル・ルグランが手掛けた永遠のテーマ曲が重ねられる。シェルブールという港町に捧げられた交響楽。流麗なカメラワークは登場人物の情動、脈動に沿っている。この映画のあらゆる設計は、脚本というよりも美しい楽譜に沿っているように感じられる。



『シェルブールの雨傘』(c)Photofest / Getty Images


 ジャック・ドゥミは作家であり、画家であり、音楽家である自身のあらゆる才覚を本作に投入している。ジャック・ドゥミとミシェル・ルグランのクレジットが同時に並べられているのは、映画音楽家へのリスペクトであること以上に、この作品が異例の共同作業で制作された背景にある。ジャン=リュック・ゴダールの支援により制作された長編デビュー作『ローラ』(61)は、予算に合わせてプロジェクトを調整する必要があった。カラーは白黒に変更され、ミュージカルとして描きたかったシーンが削除された。様々な空想を諦める必要に迫られたにも関わらず、『ローラ』はヌーヴェルヴァーグを代表する珠玉の作品となる。何よりジャック・ドゥミとミシェル・ルグランとの映画史上に残る奇跡のコラボレーションの始まりとなる(当初はクインシー・ジョーンズが手掛けるはずだった)。ミシェル・ルグランは、無声のフィルムで歌うローラ(アヌーク・エーメ)の動きに合わせ、作曲をしている。このときの困難な創作経験が『シェルブールの雨傘』へとつながっていく。『シェルブールの雨傘』の制作は、『ローラ』の逆を行っている。初めから全編の音楽、歌手による吹き替えの歌を用意して、オケに俳優が合わせていく。


 映像と音声のシンクロというテーマは、ジャック・ドゥミの映画作家としての出自と重なっている。チェコのアニメーション作家イジー・トルンカの撮る映画に憧れていたジャック・ドゥミは、フランスのアニメーション作家ポール・グリモーの元で映画を学んでいる(キャリアの最晩年にはポール・グリモーと共作することになった)。ジャック・ドゥミの出自が奥深いのは、アニメーションを学んだあと、すぐにドキュメンタリーに向かっているところだ。ジャック・ドゥミは、ドキュメンタリー映画の巨匠ジョルジュ・ルーキエの元で学んでいる。アニメーションとドキュメンタリー。ジャック・ドゥミはどちらかを捨てたりしない。両極ともいえる2つのジャンルの間に、ジャック・ドゥミという異例の映画作家のコアがある。





PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
counter
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. シェルブールの雨傘
  4. 『シェルブールの雨傘』ジャック・ドゥミの幸福論、人生における音楽と色彩の輪舞(ロンド)