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『ロバと王女』ライラックの魔法にかけられて、魔法の可能性と不可能性を描いたメルヘン

©2003 Succession Demy

『ロバと王女』ライラックの魔法にかけられて、魔法の可能性と不可能性を描いたメルヘン

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白馬の王子様という神話への問い



 王女はリラの妖精の助言に従い、ロバの皮をドレスのように纏い、父親の元から逃げ去る。リラの妖精から魔法の杖を譲り受ける(「スペアがある」という台詞が楽しい)。魔法を手にした王女は、ステップを踏むように城を飛び出す。馬車に乗って移動するシーンが、ダイナミックな空撮を交えながら撮られている。農村地帯にたどり着いた王女は、この村で“ロバの皮”として、身分を隠し、差別を受けながら生きる。王女が村を颯爽と走り抜けるシーンがスローモーションで撮られている。ジャン=フランソワ・ミレーの絵画作品のような農村の風景。村人はピクリとも動かない。文字通り時間が止まっている。女性のスカートと動物の尻尾だけが風に揺れている。ある日、この村に赤の国の王子とその一行が訪れる。赤の国の王子が仲間に放つ言葉は、この映画の核心を突いている。「妖精は人間の心にいて人を動かすのだよ」。



『ロバと王女』(c)Photofest / Getty Images


 『ロシュフォールの恋人たち』で空想に生きる水兵マクサンスを演じたジャック・ペランが、赤の国の王子を演じている。自分が描いた肖像画の女性を追いかけていたマクサンスは、夢見がちな王子のイメージと重なっている。『ロシュフォールの恋人たち』において、出会いの可能性だけを残して物語を終えたマクサンス=ジャック・ペランとデルフィーヌ=カトリーヌ・ドヌーヴが、『ロバと王女』でついに出会う。しかし王子が王女を発見するシーンには、不穏な空気が流れている。宴を抜け、森の中で薔薇の花のアドバイスに導かれた王子は、“ロバの皮”が住む小屋を発見する。しかし小屋に近づこうとするも、見えない壁に遮断されてしまう。王子は仕方なく小窓から小屋の中を覗き見る。カットが変わると、王女は鏡の前で、あの狂おしく不穏なテーマ曲を歌っている。この流れは王様が中庭でオルガンを弾く王女を発見したシーンを反復させている。


 さらに不吉なのは、王女が手鏡で王子が覗く姿を確認しているところだ。王女は王子がここに来るように仕向けたのだ。童話のステレオタイプといえる受動的なヒロイン像が翻されている。このことは同時に、白馬の王子様が迎えにくるという神話への問いになっている。王女は“待つ人”ではなく、魔法を使って能動的に幸せを手に入れようとしている。小屋に着いたばかりの王女が最初に気にかけたのが、鏡という“自己演出”のためのアイテムだったことは示唆に富んでいる。





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