現代社会を生き抜くためのウォー・ペイント
『クライム101』を読み解くうえで、バート・レイトン監督の前作『アメリカン・アニマルズ』(18)は、極めて重要な補助線となる。この映画は、時価1,200万ドルの希少本を盗もうとした大学生たちの実話ドラマ。若者の未熟な欲望が暴走し、現実と妄想が入り混じっていく様を、レイトンはドキュメンタリーとドラマを融合させた大胆な手法で描き出した。
この視点は、『クライム101』でも一貫している。彼にとって強盗映画とは、単なるクライム・エンターテインメントではない。それは、現代社会の歪みを浮き彫りにするための隠れ蓑だ。前作で、退屈な日常から逃げるために犯罪という物語を求めた若者たちを描いたように、本作でも彼はジャンル映画の皮を被せながら、行き過ぎた資本主義のリアルを冷徹に見つめている。
物語の核心にあるのは、誰もが抱くステータスへの不安だ。登場人物たちは皆、高級車やブランド品といった物質的な豊かさで、自分の価値を証明しようともがいている。その象徴が、ハル・ベリー演じる保険ブローカーのシャロン。彼女は、犯人のデーヴィスのように社会のレールから外れるのではなく、男性優位のビジネス社会で生き抜くことを選ぶ。鏡の前で完璧なメイクを施し、隙のない高級スーツで武装する彼女の姿は、さながら戦地へ向かう兵士が顔に塗るウォー・ペイントのよう。

『クライム101』
「LAという場所には、すべてを持っていなければ失敗という無言の圧力のようなものがある」(*1)とレイトン監督が語る通り、ロサンゼルスという巨大な格差社会では、弱みを見せれば一瞬で切り捨てられてしまう。シャロンが身にまとう“美”という名の鎧は、システムに従属し、有能な駒として扱われ続けるための、必死の防衛策なのだ。
そんな彼女の孤独を際立たせるのが、移動中の車内で繰り返し流れる瞑想アプリ。聞こえてくるのは、成功や富を肯定するポジティブなマントラだ。だがこの音声は彼女を癒やすどころか、「成功者であり続けなければ価値がない」という強迫観念を内面化させる装置として機能している。本来なら精神を解放するはずのウェルネス・ツールが、資本主義の論理を骨の髄まで叩き込む“呪い”のサウンドトラックと化す。
ハル・ベリーが見せる疲弊した表情は、豊かさと引き換えに心をすり減らしていく現代人の悲哀そのもの。彼女は、世間が求める“成功したプロフェッショナル”という役を演じ続けることでしか、自分の居場所を守れない。その姿は、犯罪劇の主人公を演じることで何者かになろうとした『アメリカン・アニマルズ』の若者たちと、悲しいほど重なり合う。
システムの中で自分を殺して生きるシャロンと、システムの隙間を縫って走るデーヴィス。対照的な二人が交錯するとき、我々はこの街が抱える残酷な格差の断絶を目撃することになる。