虚飾から真実への回帰
本作が現代のノワールとして特異な輝きを放つのは、ヒリつくようなサスペンスでありながら、驚くほど血の匂いがしないことだ。デーヴィスは、決して人を傷つけず、保険で補填されるものしか盗まない。彼にとって犯罪とは、暴力による略奪ではなく、磨き抜かれた技術の証明なのだ。
その職人としての佇まいは、映画史に刻まれた孤高の系譜と静かに共鳴する。『サムライ』(67)のアラン・ドロン、『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』(81)のジェームズ・カーン、あるいは『ザ・キラー』(23)のマイケル・ファスベンダー。デーヴィスは、暴力が支配する現代において絶滅危惧種となりつつある、気高き犯罪者の正当継承者なのである。
しかもこの絶滅危惧種の職人を演じるのが、クリス・ヘムズワース!当初バート・レイトン監督は、彼の起用に懐疑的だったという。映画スターとしての華は認めても、本作が求める繊細な陰影を表現できるとは確信していなかったからだ。確かに、これまで我々がスクリーンで目撃してきた彼は、雷神ソーとしてハンマーを振り回し、ゴリゴリマッチョで世界を救う、圧倒的ヒーロー像だった。
だが本人曰く、その強靭な肉体と自信満々な支配的男性という仮面は、自身の抱えるインポスター症候群(成功しても自分は偽物だと感じてしまう心理)を隠すための、安全な要塞だったという。シャロンがメイクやスーツで武装したように、彼もまた筋肉というウォー・ペイントで不安を覆い隠していたのだ。
「よしいいぞ、誰も俺には手出しできないという気分だった。神を演じることがセーフティーネットになったんだ。その自信や確信が本物だと、人々に思い込ませることができた」(*2)

『クライム101』
本作での彼は、その安全装置を自ら解除している。声を低く潜め、他人と視線を合わせることを避け、内向的な脆さを漂わせるその姿は、神の鎧を脱ぎ捨てた、ひとりの生身の人間だ。この価値観の変容は、劇中のデーヴィスが抱える葛藤と痛いほどに重なり合う。デーヴィスもまた、社会的な成功やステータスといった仮面を被り続けることに疲れ果て、真の充足を探し求めている男だからだ。
『クライム101』は、徹底した「仮面剥ぎ」の映画である。登場人物たちは成功者という仮面の下で孤独に震え、主演俳優は無敵のヒーローという仮面を脱ぎ捨てて生身の人間としてスクリーンに立つ。国道101号線を走り抜けた先にあるものは、華麗な戦利品でも、満たされることのない承認欲求でもなく、すべての装飾を洗い流し、剥き出しの自分自身と静かに向き合う時間なのだ。
物事の基礎や入門を指す「101」。レイトン監督がこのタイトルに込めた真の意味とは、複雑怪奇なシステムの中で迷子になった我々が、もう一度、人間としての基本に立ち返るための手引きなのかもしれない。
(*1)https://www.youtube.com/watch?v=FPxA1PcDc6M
文:竹島ルイ
映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。
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『クライム101』
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配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント