広角レンズとラップが刻む、逃げ場のない同調のビート
下津監督は、クセ強の映像設計で物語を力強く引っ張っていく。例えば、文化祭の出し物を決める多数決のシーン。お化け屋敷かクレープ屋か、クラスの意見が真っ二つに割れるなか、最後の一票を委ねられた愛を、カメラは極端な広角レンズで捉える。手前が強調され、奥が小さく映る強烈なパースペクティブ。生徒たちが彼女を包囲しているかのような密集感が強まることで、愛が心理的に退路を断たれていることを明示する。
また、廊下で組体操軍団が迫り来るシークエンスでは、カチッと決まった一点透視図法の中心から、幾何学的な肉体の塊が不気味に迫り出す。薄暗い廊下の左右の壁が画面奥へと収束していくその消失点に、ピラミッド型の強固な隊列を組んだ生徒たちが、ひとつの生き物のようになってぴったり収まっているのだ。
校庭にそそり立つ巨大な人間ピラミッドに、あえて光の滲み(ハレーション)を加えているのも効果的。通常これは、映像に神々しさや青春のノスタルジーを付与するために使われる演出だ。下津監督は、その美しい光をグロテスクな同調に纏わせることで、集団に埋没することの心地よさを、まるで宗教的な救いのように撮ってしまっている。外から見ればおぞましいシステムが、内側の人間にとっては至高のエクスタシーだという、歪んだ多幸感。この光の演出は、全体主義の狂気が潜んでいることを見事に視覚化している。

『NEW GROUP』©2026映画「NEW GROUP」製作委員会
音響設計も、負けず劣らずクセ強だ。例えば、前述した多数決のシーン。愛が「じゃあ、お化け屋敷で……」と蚊の鳴くような声で答えた瞬間、画面にはクレープ屋を推していた生徒たちの「チッ」という鋭い舌打ちの音が矢継ぎ早にインサートされる。姿ははっきりと見えずとも、空間を切り裂くような摩擦音の演出によって、張り詰めた同調圧力の恐ろしさがダイレクトに伝わってくる。
集団行動とは、言い換えれば均一なリズムの共有だ。体育の授業で「イチ、ニ、イチ、ニ」と画一的に行進する生徒たちのなかで、ひとりだけジャージの色も歩調も合わない転校生・優の姿はとりわけ目を引く。メトロノームのように等間隔で刻まれるビートに対し、彼の存在そのものが意図的なオフビート(抵抗)として機能しているのだ。
校長室のシークエンスに至っては、ラップ・ミュージックを通じて全体主義の恐ろしさが露悪的に描かれる。教諭が手で叩く無機質なビートをバックに、校長(ピエール瀧)が「個人と~、個人が~、集まって~」と歌い上げ、生徒たちが「集団♪」とコールを合わせる狂気のミュージカル。本来、個人の自由な自己表現(フロウ)であるはずのラップが、ここでは人々を型にはめ、思考を奪う音楽へと反転している。
目に映る構図のすべて、耳に届く音のすべてを同調圧力の装置へと変えていく徹底した演出論が、スクリーンから逃げ場のない不気味なトーンを生み出している。