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『ボディ スナッチャー/恐怖の街』50年代アメリカのSF的ナイトメア ※注!ネタバレ含みます。

(c)Photofest / Getty Images

『ボディ スナッチャー/恐怖の街』50年代アメリカのSF的ナイトメア ※注!ネタバレ含みます。

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※本記事は物語の結末に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。


『ボディ スナッチャー/恐怖の街』あらすじ

カリフォルニア州の小さな町で開業医を営んでいるマイルズ。学会から数週間ぶりに帰ってきた時に町の様子に違和感を覚え、調査を進めると、やがて戦慄の事実を知る。町は宇宙から来た未知の生命体によって侵略されており、人々はそれに肉体を乗っ取られてしまっていたのだ。マイルズは、恋人のベッキーと共に町からの脱出に奔走する。


Index


“SFは常に、人間の不安、妄想、悪夢を表現する”



 SFは時代を映し出す鏡だ。ソ連を主軸とする共産主義が台頭してきた1950年代には、『遊星よりの物体X』(51)、『地球の静止する日』(51)、『宇宙戦争』(53)といった侵略系SF映画が次々と作られている。マッカーシズムが吹き荒れ、反共ヒステリーに陥っていたアメリカの社会不安が、“地球がエイリアンに乗っ取られる”というモチーフに直結したのだ。その代表格が、ドン・シーゲル監督による古典的名作『ボディスナッチャー/恐怖の街』(56)である。


 原作小説は、1955年に刊行されたジャック・フィニイの「盗まれた街」。カリフォルニア州の小さな街サンタ・ミラに、宇宙から飛来した謎の生命体が出現。巨大なサヤのようなものから人間が複製され、街の人々が乗っ取られていくというSFスリラーだ。人間的な感情を持たないポッド・ピープル(サヤから生まれた複製人間)は、コミューンのような社会システムを標榜し、集団主義を信奉している。明白すぎるくらいの、共産主義メタファー。しかもドン・シーゲルは、車が行き会うハイウェイで、主人公マイルズ・ベネル(ケヴィン・マッカーシー)にこんなセリフを叫ばせている。


「君たちは狙われている。妻も子供もみんな奪われるぞ。やつらはすぐそこに!次は君だ!次は君だ!君なんだ!」


 狂気じみた主張に耳を傾ける者はいない。それでも必死に声を振り絞り、世界の危機を訴えるマイルズ。やがて彼の顔がスクリーンいっぱいに広がり、観客側に指を向けて絶叫する…「次は君だ!」と。あえて第四の壁を打ち破るような演出をすることで、“強制的に思想・信条を転向させられる恐怖”を突きつけるのだ。


『ボディ スナッチャー/恐怖の街』予告


 原作者のジャック・フィニイは、『ボディスナッチャー/恐怖の街』は単なるスリラーで、特に政治的な意味合いはないと否定している。だが得てして作品というものは、作者の意図を越え、受け手が自由に想像力の翼を羽ばたかせるものだ。50年代という時代にあっては、政治的なメッセージとして受け取る方がむしろ自然だったのかもしれない。『タイタニック』(97)や『アバター』(09)で知られるジェームズ・キャメロン監督も、本作に関してこんな発言をしている。


「50年代から60年代の初めにかけて、核で世界が滅亡するのではないかという恐怖がB級モンスター映画で示され、共産主義の恐怖は『ボディスナッチャー/恐怖の街』(56)といった“肉体乗っ取り”もので描かれていた。SFは常に、人間の不安、妄想、悪夢を表現している。そんなSFの多様な切り口に、私は魅せられっ放しなんだ」(*1)




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