2023.01.23
“社会の反逆者”としての主人公
『刑事マディガン』(68)や『ダーティハリー』(71)に代表されるアクション映画、『燃える平原児』(60)や『真昼の死闘』(70)に代表される西部劇。ドン・シーゲルは職人監督として様々なジャンルを横断しながら、男臭い活劇映画を撮り続けてきた。その中で『ボディスナッチャー/恐怖の街』のようなSFスリラーは、彼のフィルモグラフィーの中でも特異な位置を占めている。
だが実際のところ本作もまた、極めてドン・シーゲル的なキャラクターが躍動する映画と言える。彼の作品において主人公の男性たちは、社会的コミュニティに属さず、妻も子供もいない。あらゆる規範から自由であろうとし、典型的なアウトローとしてスクリーンに現出する。いわば彼らは、社会の反逆者なのだ。
ポッド・ピープルによって占拠されたサンタ・ミラの街で、彼と恋人のベッキー(ダナ・ウィンター)は唯一の人間として孤軍奮闘し、彼らの懐柔にも乗らず、社会システムに組み込まれることを断固拒否する。そしてベッキーがポッド・ピープルに乗っ取られてしまっても、彼女との愛を全うすることはせず、たった一人で集団と対峙することを選ぶ。反共映画とか反赤狩り映画とか言う前に、そもそもアウトロー的な振る舞いこそが、非常にドン・シーゲル的なのだ。
『ボディ スナッチャー/恐怖の街』(c)Photofest / Getty Images
彼の現場で演出を学んだクリント・イーストウッドは、こう語っている。
「実際のところ、彼にはいつも敵が必要だった。映画会社なり、プロデューサーなりのね。(中略)ドンは、製作担当者たちを嫌っていた。助手か秘書くらいに考えていて、実際、その程度の扱いしかしなかった。(中略)ドンは昔のスタジオ・システムが大嫌いだった」(*2)
ドン・シーゲルもまた、スタジオ・システムに反抗し、アウトローとして映画道を貫いてきた。白と黒のコントラストが美しいノワール的ショットが横溢し、あえてカメラを傾けるダッチアングルも活用するなど、男臭いというよりはスタイリッシュな印象すら受ける『ボディスナッチャー/恐怖の街』だが、その構造はまごうことなきドン・シーゲル・フィルムなのである。
*1「SF映画術 ジェームズ・キャメロンと6人の巨匠が語るサイエンス・フィクション創作講座」(DU BOOKS)
*2「孤高の騎士クリント・イーストウッド」(フィルムアート社)
文:竹島ルイ
ヒットガールに蹴られたい、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」主宰。
(c)Photofest / Getty Images