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『ヌーヴェルヴァーグ』何になるか分からないまま撮る勇気、そこから全てが始まる

©JeanLouisFernandez 

『ヌーヴェルヴァーグ』何になるか分からないまま撮る勇気、そこから全てが始まる

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「アメリカン・ニューシネマ」の源流



 この感覚は、フランスだけで終わらなかった。ヌーヴェルヴァーグの登場によって、映画というものが、既存の映画文法から自由になり得るということが示された。その影響は、アメリカにも波及していく。そして、1960年代後半から1970年代にかけて出現したのが、「アメリカン・ニューシネマ」という流れだった。


 1980年代以降のアメリカ映画は、商業的に洗練された大作映画が、これまで以上に大きな力を持ち、極端な大衆化が目立つようになる。映画を作ることが、より大きな資本のなかで管理され、ビジネスとして効率化されていった面が大きい。そのような状況の中、リンクレイターは、アメリカン・ニューシネマ的な精神をもう一度掘り起こし、アメリカ・インディーズ界の伝説的存在となった。この流れには、クエンティン・タランティーノ監督や、ケヴィン・スミス監督らもいた。そう、彼らもまた、総体として一つの映画運動を生み出していたのだ。


 そして、彼らの源流には、ヌーヴェルヴァーグがある。そもそも、リンクレイターやタランティーノは、ゴダール作品からの影響を公言し、自覚している映画作家なのだ。『バッド・チューニング』(93)や『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(95)、あるいは『パルプ・フィクション』(94)を観れば、そこにヌーヴェルヴァーグの即興性と、脱構築的な手法があることが理解できるはずだ。



『ヌーヴェルヴァーグ』©JeanLouisFernandez 


 ただし、リンクレイターやタランティーノがゴダールの撮影方法をそのまま模倣しているというわけではない。彼らが映画を撮るのはパリやその郊外ではなかったし、表面的な文化も全く違っている。だから多くの映画ファンは、ゴダールの後継を、例えばレオス・カラックス監督であると答えるだろう。


 ゴダールやその後のフランス映画には、レオス・カラックスの映画における「女優の顔や身体を、個人的な感情などを起点にしながら魅力的に撮る」といった手つきに代表される、情動的な類似点もある。印象派にも似たこうした手法がヌーヴェルヴァーグにとって重要であることは、本作ではイングマール・ベルイマン監督の『不良少女モニカ』(53)に言及することで補完されている。まさしく同作品こそ、その意味でヌーヴェルヴァーグの“走り”と位置づけられた一作なのだ。





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