彼女たちはなぜ書くのか
沖田監督は3人にそれぞれ「初期衝動」「成仏」「夢の続き」という言葉をテーマとして与えたと語っている(*2)。
15歳の聡子にとって書くこととは、あり余るエネルギーの爆発だ。「拝啓、塩辛様。あなたにまた会いたいです。私はそのグロい見た目がたまらなく好き」と大好きな塩辛への愛を綴り、「アレルギー性鼻炎と、無呼吸症候群と、水虫のトリプルコンボによりこの世を去ります」という謎の遺書をしたため、絶賛片思い中の早瀬くんがホームランを打って自分に告白するという、こっちが赤面しそうな直球の妄想を恥ずかしげもなく書き殴る。
だが失恋を機に、彼女はこれまで書き溜めてきたノートを、あっさりゴミ箱に捨ててしまう。現実の恋が終わってしまえば、小説に刻まれているのは痛々しさだけ。自分の恥をこの世からなかったことにするみたいに、ノートを放り投げるのだ。

『さとこはいつも』©2026 「さとこはいつも」製作委員会
一方、6年も不倫を続けてきた35歳の沙都子にとって、書くこととはドロドロの過去を清算させるための儀式だ。修羅場に巻き込まれた彼女は、自分の恋愛を韓国ドラマのように見立て(あからさまに「冬のソナタ」(02)のようなシーンも出てくる)、猛然とパソコンに打ち込んでいく。
ところが、新しい恋の気配を感じた途端、そのファイルをあっさりとゴミ箱に放り込む。彼女にとって文章を打つという行為は、引きずっていた未練を断ち切るためのプロセスだった。過去の自分にきっちりケリをつけたからこそ、ワンクリックでデータを消去し、次の人生へと進むことができたのだろう。
子育てを終えた55歳の里子にとって、執筆は諦めていたもう一つの人生を取り戻す、夢の続きだ。彼女が原動力にするのは雪深い故郷の記憶。20年続けたお弁当作りにピリオドを打ち、彼女は物語を書き始める。タイトルは「小鳥とゆきの本屋さん」。雪深い街にポツンと建つ一軒の本屋と、そこへやってくる一羽の小鳥の物語だ。
聡子はノートを捨て、沙都子はファイルを消した。だが里子だけは、書いたものを手放さない。手書きの原稿は、やがて夫に褒められ、息子の手によってデータ化される。誰かに読まれて初めて、自分が生きてきた証になる。人は人生のどこかで、自分の物語を書き残さずにはいられないのだ。