マトリョーシカのような三重構造
聡子は、里子の思い出話に思わず「それ、物語みたい」と呟く。その一言に勇気づけられて、里子は小説を書き始める。誰かが何気なく発した言葉が、見知らぬ誰かの背中を押してくれることがある。その不思議な連鎖を暗示しているのが、書店員(細田佳央太)が読んでいた村上春樹の「羊をめぐる冒険」(82)だ。
背中に星形の模様を持つ幻の羊を追って、主人公が雪深い北海道を彷徨ううちに、いつの間にか自分自身を探す旅へと変容する物語。この仕掛けは、55歳の里子のパートにそのまま重なってくる。
①『さとこはいつも』という映画のなかに、里子が生きている
②里子が淡い恋の記憶をたぐり寄せて、「小鳥とゆきの本屋さん」という物語を書く
③その物語に登場する書店員が、「羊をめぐる冒険」を読んでいる
映画の中に里子の人生があり、里子の人生の中に物語があり、その奥にさらに小説の世界が広がっている。このマトリョーシカのような三層構造を貫いているのは、どれも「何かを探しているつもりが、いつの間にか自分の本当の物語にたどり着く」という共通のプロセスだ。

『さとこはいつも』©2026 「さとこはいつも」製作委員会
思えば沖田監督の『横道世之介』(13)は、すでに亡くなった主人公・世之介の「過去」と、彼と関わった人々の「現在」を交差させながら、彼の何気ない優しさが、時間を超えて周囲の人生を静かに動かしていたことを積み重ねていく映画だった。
『さとこはいつも』は、この構造の変奏に近い。世之介が果たした役割を、本作では聡子・沙都子・里子という3人が、互いに知らぬまま担い合っている。誰かがふと放った言葉が、時間差で別の誰かを動かす。沖田監督が描くのはドラマティックな因果関係ではなく、緩やかな伝播なのだ。
沖田監督は本作の脚本と並行して、ノベライズ版も書き下ろしている。3人がそれぞれ書いた文章そのものを形にしたくなり、自ら小説を書くことを選んだのだという。20年ものあいだ映画を撮り続けてきたフィルムメーカーが、ここにきて初めて別の表現媒体に手を伸ばした。作り手とキャラクターがシンクロするメタ構造も、映画のテーマを力強く裏打ちしている。
『さとこはいつも』は、生きるすべての人を丸ごと肯定してくれるような、最高に愛おしくてチャーミングな人間賛歌なのだ。
(*1)(*2)https://note.com/satoko_movie/n/n3231c93409e2
文:竹島ルイ
映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。
『さとこはいつも』
全国公開中
配給:ハピネットファントム・スタジオ
©2026 「さとこはいつも」製作委員会