問い直すべくは、物語の中心に誰がいるか
『ミッション』を観ていて気になるのは、グアラニーの人々が物語の重要な位置を占めているにもかかわらず、主にヨーロッパ人の視点から物語が組み立てられていることだ。映画の中心にいるのは、信仰を貫こうとするガブリエル神父と、罪を悔いて生き直そうとするメンドーサである。前者は非暴力を信じ、後者は武器を取って人々を守ろうとする。二人の信念が衝突することで、「信仰とは何か」「暴力にどう向き合うべきか」という問題が浮かび上がる。物語としての力は、こうした人物たちの葛藤によって生み出されている。
しかし、ここで描かれる戦いは、もともとはグアラニーの人々が自分たちの土地と暮らしを守るためのものでもある。にもかかわらず本作では、彼ら自身の政治的な判断や、共同体の内部で交わされる意見の違いにはあまりフォーカスされない。先住民の運命を左右する出来事を題材にしながら、観客が追いかけるのは、主としてヨーロッパの人々が何を信じ、どう行動するかという問題なのである。
グアラニーの人々は、共同体の連帯や自然との結びつき、暴力にさらされる人々の尊厳を象徴する存在として描かれる。そうした描写には、植民地支配のもとで傷つけられた人々への敬意が感じられる一方、彼らを純粋で高潔な存在として描きすぎることで、実際に生きていた人間としての複雑さや主体性を薄れさせてしまうことにもなる。

『ミッション』© Kingsmere Productions Limited. All Rights Reserved.
『ミッション』は、植民地支配の暴力を批判し、先住民の尊厳を守ろうとする姿勢を見せる映画である。その意味では、現在へと続く多様性や“周縁部への目線”を尊重する部分のある、先進的な映画だったと評価できる。だが一方で、物語の中心にヨーロッパの信仰や罪、倫理的な選択が置かれていることも事実。そこから、この映画の試みがそうした思想を描く上で、まだ途上にあったことが分かる。もちろん2026年現在も、そうした意味ではまだまだ過去の価値観に縛られている部分があるといえる。
筆者は、『フェアウェル』(19)を撮った中国系アメリカ人のルル・ワン監督に取材したことがある。中国系アメリカ人の家族の物語を当事者の視点で描いたこの作品は、東洋と西洋の文化の違いを扱いながら、これまでハリウッドの中心では十分に語られてこなかった人々の経験を物語の中心に置いている。「私たちの物語が、世界の人々に求められるようになってきた」という彼女の見解は、非常に印象に残っている。
映画は、これまで見えにくかった人々の存在を可視化することができる。ただ、誰かを画面に登場させることと、その人自身の視点から物語を語ることは同じではない。『ミッション』が描こうとした先住民の尊厳を受け止めながら、彼ら自身の声や判断がどこまで物語の中心に置かれているのかは、問い直さなければならない。本作『ミッション』が、過去の暴力を内省する作品ならば、なおさらである。
しかし、それでもなお、この映画に当時の水準での意義があったことは確かである。本作の功績と課題を映画史や社会の変遷を通して考えることで、われわれが生きている現在の問題もまた、具体的に見えてくるのではないだろうか。
文:小野寺系
映画仙人を目指し、さすらいながらWEBメディアや雑誌などで執筆する映画評論家。いろいろな角度から、映画の“深い”内容を分かりやすく伝えていきます。
Twitter:@kmovie
『ミッション 4Kデジタルリマスター版』
全国順次公開中
配給:アークエンタテインメント 提供:ハーク
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