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『ヒューゴの不思議な発明』 実は3Dの超マニアだったマーティン・スコセッシ!

『ヒューゴの不思議な発明』 実は3Dの超マニアだったマーティン・スコセッシ!


スコセッシと3Dの深い関係



 貧しいシチリア移民の息子としてマンハッタンのリトル・イタリーで育ち、病弱だったスコセッシにとって、映画と宗教が生活のすべてだったという。


 そんな彼が10歳のころの1952年に3D映画『ブワナの悪魔』が公開され、これをきっかけとして第一次3D映画ブームが到来した。この3D映画の魅力に取りつかれたスコセッシ少年は、『肉の蝋人形』(53)、『恐怖の街』(53)、『I, The Jury』(53, 日本未公開)、『地獄の対決』(53, 日本劇場未公開)、『大アマゾンの半魚人』(54, 3D版日本劇場未公開)(*1)などを、むさぼるように観たそうである。これは彼が大人になってからも同様で、ニューヨーク・ステレオスコピック協会(*2)の会員となり、ステレオ(立体)写真を楽しんでいた。


 だから、スコセッシにとって3D映画の復活は何より待ち遠しかったはずで、若い監督たちよりも深く3Dの利点を理解していたのである。今回、彼とVFXスーパーバイザーのロブ・レガートらは、『肉の蝋人形』の他、ヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ!』(54)(*3)などを徹底研究して3Dの演出法を学んだ。これらの3D版35mmプリントは、すべてスコセッシの個人コレクション(!)にあったものである。




*1 この『大アマゾンの半魚人』は「アナグリフ(赤青)方式の3Dで上映された」という都市伝説があるが、これは大部分ウソである。この作品は、偏光フィルター式の「ポラ・ライト(別名 ノード3D)方式」での公開だった。これはそれまでの2台のプロジェクターをシンクロ映写させる「ポラロイド方式」と異なり、1台のプロジェクターだけで上映が可能という利点を持っていた。しかし日本では、下火になり始めた3Dブームのために、新たな映写システムを導入しようという話にはならず、2Dのみでの公開となっている。


 元々偏光フィルターは、1929年にエドウィン・ランドによって量産技術が開発され、彼が創業したポラロイド社によって生産された。そもそも“ポラロイド”という社名は、ポラライザー(偏光子)+セルロイドの合成語である。そしてランドは、このフィルターを3D映画用として売り込むために第一次3D映画ブームを仕掛け、1億個の偏光メガネを映画会社に提供している。したがって、50年代の第一次3D映画ブームの全作品は、偏光方式だけで公開されていた。


 ではなぜ『大アマゾンの半魚人』が「アナグリフ方式で上映された」という話になったかというと、1972年のリバイバル公開時は、たしかにアナグリフ上映となっていたからだ。偏光方式での上映には、特殊なアダプターを付けたプロジェクターと、シルバースクリーンが必要となる。こういった機材の導入には高い経費を必要とするため、継続して3D作品が供給されるブームの時にしか偏光方式は使えない。したがってブームの谷間の期間は、特別な上映設備がいらないアナグリフが唯一の選択肢となり、この時期に見た作品の印象が人々の記憶に残った。また、3D版の8mmフィルムやベータ、VHSによるソフト販売、ケーブルテレビ放送なども、すべてアナグリフだった。こういったことから「『大アマゾンの半魚人』は最初からアナグリフ公開だった」という誤解を招いたと想像される。


*2 この協会には、『レナードの朝』(90)や『アット・ファースト・サイト/あなたが見えなくても』(98)の原作者/コンサルタントとして有名な、神経学者のオリバー・サックスも所属していた。


*3 ワーナー・ブラザーズは1954年当時、『ダイヤルMを廻せ!』の3D公開を見送り、2D版のみを配給した。理由は、すでに3D映画ブームが下火になっていたからである。そして3D版初公開の機会は、ヒッチコックが亡くなる2か月前の、1980年2月のサンフランシスコにおけるプレミア上映まで、26年も待たなければならなかった。



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