『いまを生きる』あらすじ
1959年、バーモントの全寮制学院ウェルトン・アカデミーの新学期に、同校のOBである英語教師ジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)が新任教師としてやって来た。厳格な規則に縛られている学生たちに、キーティングは「プリチャードの教科書なんか破り捨てろ」と言い放ち、生きることの素晴らしさについて教えようとする。キーティングの風変わりな授業に最初は戸惑う生徒たちだったが、次第に行動力を刺激され、新鮮な考えや、規則や親の期待に縛られない自由な生き方に目覚めていくのだった。恋する者、芝居に目覚める者…。皆がそれぞれの道を歩みはじめたかのようにみえた時、ある事件が起こった。
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俳優たちに共同生活を命じたピーター・ウィアー
連帯感。それが『いまを生きる』を演出する上での、監督ピーター・ウィアーの最優先課題だった。1959年のアメリカ、バーモント州にある厳格な全寮制学院に集う生徒たちに芽生える仲間意識なくして、この物語は成立しないと考えたからだ。課題を克服するのに、演出の力だけでは限界があることを熟知していたウィアーは、まず、俳優たちを大部屋で共同生活させることを提案し、実行させる。さらに、彼らが徐々に距離を縮めてゆく過程を正確にとらえるために、撮影では順撮りが選択された。舞台裏で設定された環境と時間の経過が、そのまま画面に取り込まれていったというわけだ。
そして、ウィアーは音楽の力も借りた。生徒の1人、ノックスを演じたジョシュ・チャールズによると、セットでは終始音楽が流され、俳優たちに心の静寂と、時にエモーショナルな感情を引き出す役目を果たしてくれたいう。最も強く耳に残っているのはエンニオ・モリコーネによる映画『ミッション』(86)の壮大なメロディだったとか。以来、チャールズは演技に集中するために音楽を聴く習慣が身についたと告白している。
『いまを生きる』(c)Photofest / Getty Images
それから遡ること5年前、『ナーズの復讐』(84)のオーディションで出会っていたチャールズとイーサン・ホークは、その時叶わなかった共演を『いまを生きる』で実現させる。名匠ピーター・ウィアーの演出に身を預け、人気コメディアン、ロビン・ウィリアムズと同じ画面に収まり、ヴェネチア映画祭では初めてレッドカーペットの上を緊張しつつ闊歩したことは、2人にとって、そして他の共演者たちにとっても、まさに俳優としての学舎(まなびや)。映画の舞台と同じく、学校そのものだった。