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『ドゥ・ザ・ライト・シング』“LOVE”&“HATE”の意味を問い続けるスパイク・リー監督作

(C) 1989 Universal Studios. All Rights Reserved.

『ドゥ・ザ・ライト・シング』“LOVE”&“HATE”の意味を問い続けるスパイク・リー監督作


現実に起きた事件が出発点。当初はデ・ニーロにも出演依頼



 この映画の出発点となったのは、アメリカで実際に起きたいくつかの人種をめぐる事件だった。まずは86年にクリーンズのハワード・ビーチで起きた事件。23歳のアフリカ系アメリカ人、マイケル・グリフィスがイタリアのマフィアに追われて、車ではねられるという事件が起きた。一緒にいた黒人の仲間たちはピザ屋に逃げたが、その後、悲劇に巻き込まれた。


 他にもタワナ・ブラッドレーやマイケル・スチュワート、エレノア・バンパースなど、人種問題がからんだ事件がアメリカでは起きた。そんな当時の人種間の緊張感が映画には投影されていく(最後に犠牲者たちの名前がクレジットされている)。


 映画では37度の日が舞台になっているが、アメリカで刊行されているスパイク・リーの評伝本によれば、テレビの「トワイライト・ゾーン」に登場する博士が「気温が35度以上になると犯罪が起きやすい」と分析していた場面が記憶に残っていて、夏の最も暑い日を舞台にした映画を撮りたいと考えていたようだ。


 製作前には、キャストの交代劇もあり、サル役は最初、ロバート・デ・ニーロに依頼したが、彼は乗り気ではなく、ダニー・アイエロが出演。結果的にこのキャスティングは成功で、彼はアカデミー助演男優賞候補となる好演を見せた。彼の息子で、人種差別主義者のピノ役はマット・ディロンを希望していたが、こちらも出演を断られ、その頃は無名だったジョン・タトゥーロを起用(後にリーの作品の常連となる)。ムーキーの恋人、ティナ役は、スパイクの抜擢で、大学生だったロージー・ペレズが演じたが、彼女はその後、ハリウッド映画のバイプレイヤーとして知られる。この作品をきっかけにキャリアアップした俳優たちが出ていて、それぞれの個性を発揮しているのだ。


 また、市長と呼ばれる飲んだくれの老人を演じるオーシー・デイヴィスは70年に『ロールス・ロイスに銀の銃』を撮った草分け的な黒人監督であり、黒人解放の活動家でもあった。彼の妻のルビー・ディーも活動家で、マザー・シスター役で出演。こうしたキャスティングには、リーの先輩たちに対する敬意が込められている。



 製作費を出したユニバーサル・スタジオは予算をカットするため、別の地域での撮影を提案したという。しかし、絶対にニューヨーク以外での撮影はありえない、と主張する監督の決意のもと、88年7月から9月までロケが行われた。スパイク・リーの大半の映画は他にも『マルコムX』や『インサイド・マン』(06)などニューヨークが舞台のものが大半で、そのストリートの活気が巧みに作品群に盛り込まれる。



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