最新作『パターソン』は詩をモチーフにした映画
60代になって発表した『パターソン』もまた、その土地に潜む豊かな文化と時間の鉱脈に触れる体験をすることができる。そして、ジャームッシュのフィルモグラフィーの中でも特に瑞々しい作品となっている。
舞台はニュージャージー州のパターソンという街だ。そして主人公の名前もまたパターソンといい、このバスの運転手のある月曜日から翌週の月曜日まで、その日常を丁寧に紡いでいる。パターソンは始発の運転に向けて早朝に起き、妻を起こさないようにそっとベッドを抜け出し、淹れたてのコーヒーに小さなドーナツ型のシリアルを食べて家を出る。同僚の点検係は毎日、人生へのストレスと不満を口にし、昼間はかつて絹産業で栄えたこの街を支えた水力発電所跡で、街の名所である大滝を眺めながら手作りのランチを食べ、定時には家に戻り、妻と夕食をとり、そして愛犬と共に夜の散歩に出かけ、行きつけのバーで一杯だけひっかけて、店の親父と軽口を叩いて帰宅する。
判を押したような日常。でも、当然のことながら、日々には様々な変化が起き、その変化がパターソンの生活に素敵なアクセントとなって、日常を色づかせる。なぜならパターソンは詩を深く愛し、自分でも詩を作っているからだ。月曜日、彼は最近気に入っている青いマッチ箱への愛着を詩に綴る。火曜日、ベッドを抜け出そうとする彼は、美しい裸のフォルムが腰のあたりまで露わになっている妻をいとおしむようにそっと敷布をかけてやり、そのちょっとした仕草で昨晩の二人の甘い夜が想像できる。その影響か、ランチの時間に書く彼の詩は、青いマッチ箱の描写から、妻への熱い愛情の文章へと変わってくる。
詩人の目を通すと、ちょっとした日常が愛おしさにあふれた瞬間の積み重なりであることが顕著になるのだ。パターソンの愛する詩人は、パターソンの街にほど近い場所で、医者の傍ら詩を発表し続けたウィリアム・カーロス・ウィリアムズ。アメリカの詩人と言えば、1950年代から60年代に沸き起こったビート・ジェンレーションの立役者の一人であるアレン・ギンズバーグが有名だが、そのギンズバーグが師と仰いだのが前出のウィリアム・カーロス・ウィリアムズなのだ。この二人には有名なエピソードがある。ギンズバーグが詩韻を踏んだ作品群をウィリアムズに見せ、アドバイスを求めた時、「韻を踏むならもっと徹底的にやらないと」とダメだししたことで、ギンズバーグは荒々しくシャウトする文体の『吠える(Howl)』を発表。当時の若者たちに多大な影響を与え、詩の一大革命が起きたのである。
でも、パターソンが愛するのは、そういう派手派手しいギンズバーグではなくウィリアムズであるというのが通好みで、そして映画の後半、同じくウィリアム・カーロス・ウィリアムズを愛して、日本からはるばるやってくるのが、『ミステリー・トレイン』以来のジャームッシュ映画への参加となる永瀬正敏なのである。