2019.06.27
モノクロ、スタンダードが醸し出す世界
そんな母国における歴史の暗部を、前作『イーダ』と同様に描いたパヴェウ・パヴリコフスキ監督は、モノクロ、スタンダードサイズという、これもまた『イーダ』と同じく、現代においてはストイックとも感じられる形式で、本作を発表した。
今回モノクロを選んだのは、監督の発言によると、冷戦下のポーランドを鮮やかな色で表現することが適切ではないという想いがあったということだ。確かに、本作の緊張感や荒涼とした雰囲気を助長し、色彩が奪われたような過酷な映像世界を作り上げているのは、モノクロの効用であるといっていい。さらに、横の広がりのない窮屈なスタンダードサイズが、登場人物たちの置かれた状況を暗示しているようにも見える。
近年、数はそれほど多くないが、あえてスタンダードサイズを選ぶ映画作品が作られてきている。ネメシュ・ラースロー監督の『サウルの息子』(15)は、第二次世界大戦中にユダヤ人を殺害していた収容所で働き、同胞の死体処理などをさせられていたユダヤ人労務者の物語が描かれた。この作品では、収容所の閉塞感はもちろんとして、いつ殺されるか分からない恐怖のなかで、同胞を殺害していくナチスの利益のため、とにかく働かなければならないという、あらゆる選択を奪われた人間の感覚を表現するうえで、スタンダードの狭い画面が寄与していた。
青春時代を描く映画においても、この手法は役立つことがある。ガス・ヴァン・サント監督の『エレファント』(03)もそうだし、グザヴィエ・ドラン監督の『Mommy/マミー』(14)に至っては、さらに狭い正方形の画面を採用することによって、世の中に触れ始めたばかりで、まだ広い視野を獲得できていない若者の世界観を美しく表現することに成功している。
人間の眼は横に並んでいるため、たしかに横長の画面の方が自然だと思えるし、それがリッチな映画体験であると、われわれは漠然と思っている。だが、すべての映画が横長である必要があるのかというと、そこは疑問である。美術館に行くと、横長、縦長、正方形、円型などなど、絵画作品が思い思いの形やサイズで展示されているように、何を題材とするかで、それらは決定されるべきではないのか。
スタンダードサイズは比較的容易に画面を被写体で埋めることができ、完成度を高めやすいといえる。それでも現在の多くの映画作品は、とくに理由なくワイドな画面を選んでしまっているように思える。スペクタクルを表現するのに、確かに横長の画面は適しているが、スケール感を必要としない作品は、むしろ映像の幅が邪魔になってしまうケースが少なくないか。『イーダ』や本作に見られる、いくつもの美しい構図というのは、われわれ観客にあらためて画面構成の問題を投げかけてもいるのである。
文: 小野寺系
映画仙人を目指し、さすらいながらWEBメディアや雑誌などで執筆する映画評論家。いろいろな角度から、映画の“深い”内容を分かりやすく伝えていきます。
『COLD WAR あの歌、2つの心』
2019/6/28(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
配給:キノフィルムズ
公式サイト: https://coldwar-movie.jp/
※2019年6月記事掲載時の情報です。