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ホラー映画になるはずだった!?『脳内ニューヨーク』が描く奇想天外すぎる世界
内側へ向けて増殖を繰り返す物語
『脳内ニューヨーク』は、老いや不安といった人生の苦しみにさいなまれる劇作家(フィリップ・シーモア・ホフマン)が、いつしか人生や日常を俯瞰するかのような壮大な舞台作に挑んでいく物語だ。そこに脚本など存在しない。代わりに広大な敷地面積の中でおびただしい数のエキストラを動員し、日々、一人一人に設定やセリフを書いたメモ書きを手渡すことで展開していく。
このスタジアム級の舞台上に出現するのは、物語というよりはむしろ世界の縮図だ。そこには自分の役を演じる俳優がいて、その内部にさらなるミニチュア版の内的世界が広がる。はたまた演出家という役割を持つ主人公が、どういうわけか全く別の人物の役を演じることもある。すべてはマトリョーシカ人形のようでもあり、スタッフはあらかじめ図を作成して本作の構造を確かめながら製作を進めていったという。
『脳内ニューヨーク』(C)2008 KIMMEL DISTRIBUTION, LLC All Rights Reserved
私事で恐縮だが、筆者にとって本作を観るのはこれが3度目だった。そこで痛いほど気づかされたのは、観るごとに印象がガラリと変わるということ。それはもちろん受け手の年齢の推移によって切実度が変わるという意味でもあるが、それ以上に、一回一回の着眼点や自分の意識の在り方によって作品から受け取るメッセージが全く違って見えてくるのだ。
すべてはこのマトリョーシカのように幾つものレイヤーを持った構造ゆえだろう。実はカウフマンの狙いもそこにあったらしい。演劇作品ならば毎回毎回、生き物のように印象を変えて進化していくのに、映画は同じことの繰り返し。一度完成してしまえば、その後の変化は起こらない。
『脳内ニューヨーク』(C)2008 KIMMEL DISTRIBUTION, LLC All Rights Reserved
ではここに生命を吹き込み、見るごとに新たな発見が得られる作品にするためにはどうすればいいのか。そうした命題へのカウフマンらしい答えこそ、この溢れるほどのテーマとモチーフによって人生そのものを包み込んだ『脳内ニューヨーク』だった。