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チャーリー・カウフマンが描く奇想天外な物語
世の中に奇才、異才と呼ばれる脚本家は星の数ほど存在するが、いざチャーリー・カウフマンの名を耳にすると、微かにみぞおちのあたりがキリリと疼くのを感じる。決して一筋縄ではいかない。いくはずもない。彼が生み出すのは「こんな脚本、映像化は不可能だ!」と誰もが匙を投げるほどの奇想天外ワールド。並みの映画監督がうっかり手を出すと大火傷を負うようなシロモノばかりだ。
それゆえ彼の天才性を世に知らしめるにあたって、スパイク・ジョーンズやミシェル・ゴンドリーといった映像界の寵児たちの出現は欠かせないものだった。そうやって誕生した『マルコヴィッチの穴』(99)、『ヒューマンネイチュア』(02)、『アダプテーション』(02)、『エターナル・サンシャイン』(04)がどれも映画界を揺るがす作品となったことは記憶に新しい。
思えば、これらの作品の初鑑賞時に我々は、他の追随を許さぬ発想力にただただ驚くばかりで、その作品世界を「唯一無二」と表現するしか術がなかった。だが、カウフマンの映画(脚本家)デビューから20年が経とうとする今、その構造を改めて振り返ると、そこには彼にしか成し得ないレトリックでの「人称の切り替え」や「虚と実の反転」、さらにその根本には「表現すること、創造することの苦悩」がくっきりと刻まれていることに気づかされる。
そうやってキャリアを積み重ねてきたチャーリー・カウフマンが、他の天才監督の手を借りることなく、ついに自ら監督デビューを果たした作品が『脳内ニューヨーク』(08)である。なぜ彼はこのタイミングで監督業へと乗り出したのか。それを覗くと、一筋縄ではいかないカウフマン流映画作りの裏側が見えてくる。