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『炎のランナー』これぞスポーツ映画の傑作!“走ること”に全てを賭けた生き様
『炎のランナー』あらすじ
パリ・オリンピック陸上短距離で祖国イギリスに金メダルをもたらした2人の若者がいた。ユダヤの血をひいている為、言われなき差別と偏見を受けてきたハロルド。彼にとって走ることは偏見に勝利することであった。一方、宣教師の家に生まれたエリックは神のため、信仰のため走った……。
Index
- 走ることへの信念を貫いたオリンピック選手たち
- 「情報求む!」の広告も。全ては50年前の記憶の編纂から始まった
- 製作費が不足する中、ドディ・アルファイドがサポート
- 心に焔を宿した伝説の選手たちのその後は・・・?
走ることへの信念を貫いたオリンピック選手たち
2019年7月7日に放送されたNHK大河ドラマ「いだてん」では、日本人初の女性オリンピック選手、人見絹枝の生き様が中心に描かれ、放送後はネットで「神回」と称されるほど視聴者の反響を呼んだ。この中で彼女はアムステルダム・オリンピック100m走で敗北を喫した後、「私はまだ何も成し遂げてはいない!このままでは日本に帰れない!」と800m走への出場を申し出る。その熱意に押され、代表団も許諾。これまで練習もしてこなかったこのレースで彼女は凄まじい執念の走りを見せ、見事銀メダルを獲得するのである。
この時、なぜか筆者の脳裏をふとよぎったのが、1981年のイギリス映画『炎のランナー』だった。
舞台は、先の「いだてん」(7/7回)のアムステルダムよりも4年早い、1924年のパリ・オリンピック(日本マラソンの父、金栗四三もこれに出場)。この大会に向けて日々弛まぬ努力を重ね、見事金メダルを獲得した二人のイギリス人選手の物語である。
一人はユダヤ人のハロルド・エイブラハムス。彼は誰よりも「勝ちたい」という執念が強い。その何としてでも成し遂げようとする気力を武器に、周囲の差別や偏見をはねのけ、さらに勝利のためにプロの個人コーチを雇い(当時はアマチュアリズムに反するとして批判される側面もあった)死力を尽くしながら、100m走にて勝利を掴み取った。
もう一人はスコットランド出身のエリック・リデル。牧師でもある彼にとって「走ること」の意味はもはやスポーツの範疇を超えていた。この強靭な身体能力は神から授けられたものであり、自分は神の意思を全うするためにもレースに勝たねばならない。つまり彼は「伝道」のために走るのだ。
『炎のランナー』(C)2015 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.
だが、このリデルに一つの問題が降りかかる。彼が出場する100走の予選は日曜日に行われるという。キリスト教徒にとって日曜は「安息日」であり、何もしてはならないことになっている。一般的にはそれほど厳しいしきたりでなくとも、彼は宗教家である。人々の模範となるべき自分が、自ら戒律を破ることなど許されない。代表団の説得にも頑として応じなかった彼は、最終的に出場レースを100mから400mへと切り替え、付け焼き刃で臨んだこのレースにてまさかの金メダルを獲得するのである。
エイブラハムス、リデルしかり、全く異なるバックグラウンドや信念を持つ選手たちが、いまトラックに一直線に並び、己の全てをかけた大一番に挑む。その光景はまさに出走者の数だけドラマが詰まった人生の集約地であり、珠玉の群像劇。このようにして“走ること”にすべてを捧げた者たちの生き様に数多く触れられるのも、本作ならではの贅沢な醍醐味といえよう。