2019.09.04
『マルホランド・ドライブ』と『サンセット大通り』
監督はこの映画のジャンルをラブ・ストーリーであると語っている。とはいえ、これは映画の完成後における後付け的な解釈であり、監督自身も、ある特定のジャンルを描くことは考えていなかったはずだ。確かに本作はラブ・ストーリーで、同性愛を描くものだ。ブロンドのベティと、ブルネットのリタ。彼女らの描写は、フィフティーズ(50年代)の“レズビアン・パルプ・フィクション”を想起させる。
大衆向けのレズビアン文学はフィフティーズに隆盛し、安価なパルプ雑誌のいちジャンルとして築かれた。その表紙を見ると大抵の場合、ブルネットの女性と、ブロンドの女性との、妖艶な肢体が描かれている。監督のアイディアの源泉には、こうした大衆的なカルチャーも覗かせているわけだ。
『マルホランド・ドライブ』(c)Photofest / Getty Images
アイディアといえば本作は、同じく道路の名前をタイトルとした映画『サンセット大通り』(50)からひらめきを得ている。『サンセット大通り』は、落ちぶれの往年女優の視点から、ハリウッドの悪しき実態を暴き出している。
主人公のジョー(ウィリアム・ホールデン)は売れない脚本家で、取り立て屋に追われる日々だ。ある時、取り立て屋から逃れるように迷い込んだのは、かつてのサイレント映画の大女優ノーマ・デズモンド(グロリア・スワンソン)の邸宅だった。サイレント期を代表する映画スターのノーマだが、トーキーの波に乗れず世間から消えてしまったのである。リタ・ヘイワースと同じように、本作のノーマ・デズモンドもまた、ハリウッドという底なし沼に足を取られた人物だ。
『マルホランド・ドライブ』の冒頭では、交通事故で負傷したリタが、丘陵を下ってサンセット大通りを歩き回る。リタはその後、ルースの家に迷い込んでしまうわけだが、そのあたりのプロットは、『サンセット大通り』の主人公ジョーの行動と似ている部分がある。
そのほか『マルホランド・ドライブ』と『サンセット大通り』には、同じロケーションが登場する。パラマウント・スタジオの白い門だ。ハリウッドを夢見る者たちは、このアーチを夢見ているのだ。スター女優を夢見るベティと、落ちぶれ女優のノーマ。彼女らは映画の中で、この門をくぐり抜けた。それは果たして光への道か、または闇への道なのか。その先に待ち受けているのは、どちらか一方、またはその両方である。ハリウッドとは、そういう場所なのだ。
<参考>
映画『マルホランド・ドライブ』劇場用プログラム
1993年5月生まれ、北海道札幌市出身。ライター、編集者。2016年にライター業をスタートし、現在はコラム、映画評などを様々なメディアに寄稿。作り手のメッセージを俯瞰的に読み取ることで、その作品本来の意図を鋭く分析、解説する。執筆媒体は「THE RIVER」「IGN Japan」「リアルサウンド映画部」など。得意分野はアクション、ファンタジー。
(c)Photofest / Getty Images