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『ロスト・ハイウェイ』実在の事件から着想を得た記憶の乱れというテーマ

(c)Photofest / Getty Images

『ロスト・ハイウェイ』実在の事件から着想を得た記憶の乱れというテーマ

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『ロスト・ハイウェイ』あらすじ

妻レニーと平凡な生活を送るフレッド。ある朝、家のインターフォンに出るとディック・ロランドは死んだ、と誰かが謎のメッセージを告げた。やがて玄関前に一本のビデオ・テープが届き、そこには、妻をバラバラに切り刻む彼の姿が写っていたのだ。


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恐ろしく芸術的で、狂おしいほど魅力的



 巨匠デヴィッド・リンチの作品というのは、一貫して複雑だ。そもそも彼は、映画という映像作品を、絵画だとか写真だとか、そういう類のアートとして認識しているのだろう。どこを切り取っても、抽象芸術のような素晴らしさ、奥ゆかしさがある。


 デヴィッド・リンチの映画は、そのストーリーテリングが非常に混交しており、物語の進みに合わせて、わたしたちの理解はどんどん遠ざかりゆく。しかし物語は淡々と、ただまっしぐらに進み続けるのだ。だからリンチの映画というのは、物語を紐解こうなんていうのは野暮なので、ただスクリーンの映像を、視覚的に楽しむのが正しい観方なのだろう。美術館で絵画を見るような感じで。


 デヴィッド・リンチの『ロスト・ハイウェイ』(97)は、まさにそういう意味では最たるものだ。リンチの次作『マルホランド・ドライブ』(01)もまた、難解映画として記憶されているが、その物語の意味というのは、ほとんど解明されている(前半を夢の世界、後半を現実の世界とする見方だ)。


 しかし『ロスト・ハイウェイ』は、どう解釈しても謎が残る作品だ。複雑怪奇なストーリーをどのように継ぎ接ぎしても、うまく噛み合わないようにできている。それこそがリンチの狙いなのである。ゆえに『ロスト・ハイウェイ』では、全体のストーリーを一貫して楽しむというよりは、その場その場のシーケンスを断片的に把握していくほうが、スッと腑に落ちやすい。


『ロスト・ハイウェイ』予告


 暗闇の中、疾走する車のヘッドライトに照らし出されるハイウェイのセンターライン。デヴィッド・ボウイの「I'm Deranged」をバックにスピード感のあるイントロが映し出される。場面は切り替わって、主人公フレッド・マディソン(ビル・プルマン)の邸宅。玄関ブザーが鳴り、謎の男がこう告げる。「ディック・ロラントは死んだ」と。これが『ロスト・ハイウェイ』の導入部だ。


 この映画に限らず、リンチの作品における物語というのは、あまり意味を成していない。ボウイの歌にのせたイントロは非常に抽象的な映像アートのようだし、それを過ぎれば映画の序盤は極めてサイコ・ホラーな恐ろしさがある。しかし、映画の中盤では、あおり運転にキレたマフィアのボスのシュールな追走劇まで描かれ、また終盤では不可解さに磨きがかかって、サスペンスの体裁を成していく。


 リンチの映画というのは、多様なジャンルの映像をザッピングしている感覚がある。サイコ・ホラーからシュール・コメディ、サスペンスへと様々なジャンルを横断し、観客の耳目を楽しませてくれるのだ。リンチの作品は、絵画と同じだ。絵を見て、物語を想像していく。先に物語を理解し、その後で画を楽しむのではない。


 デヴィッド・リンチは、自分の作品に対する明確な答えを決して用意はいない。なので、すべての答えは画面の中から各々、探り出すしかないのだ。ときには探り出せない場合もあるが、それもリンチの狙いなのだろう。観た人の数だけ、物語が構築されるわけだ。



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