2019.11.14
子供たちの描写に影響を与えた『大人は判ってくれない』
さて、DVDのコメンタリーに耳をすませていると、本作が思いがけない名画の影響を受けていたことが判明する。それがフランスのヌーヴェルヴァーグを牽引した巨匠フランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』(59)である。映画の教科書ともいうべきこの作品は、子供たちの姿をみずみずしく描いた画期的な映画でもあった。
『大人は判ってくれない』には教師、母親、継父など様々な大人たちが登場するが、誰も主人公アントワーヌ(ジャン=ピエール・レオ)と同じ目線で世界を見つめようとする者はいない。努力は報いられず、大人からはすぐに疑われ、愛情を注がれることもない。しかも親たちは子供に構ってくれず、いつも自分自身のことで手一杯。
アントワーヌは決して行き過ぎた行動を取る少年ではなく、むしろ自分の気持ちに素直な子供であるようにも思えるが、しかし大人たちはそれとは違った解釈をし、これは本当に困った子供だ、どうにかしなければ、と思考を巡らす。その挙句、いつしか彼は更生施設へと送られてしまう。
『大人は判ってくれない』予告
そもそも大人という生き物は、えてして子供の考えていることなど全てお見通しであるかのような気分に陥ってしまうもの。それは映画監督が子供を描く場合も同じだ。「今、この少年はどんな気持ちなのか?」を分析して、それを観客に伝える上で、わかりやすくステレオタイプ的な演出に陥ってしまうケースが非常に多い。悲しい時には涙を流して悲しい表情をさせ、嬉しい時には飛び上がって喜びを表現させる。そう言ったリアリティに欠ける演技は、すぐさま映画を表面的な、嘘くさいものへと転じさせてしまうことだろう。
その点、『アバウト・ア・ボーイ』を撮るにあたって、ワイツ兄弟は『大人は判ってくれない』を何度も見直し、少年の葛藤と成長をナチュラルに描くための最適な演出、撮影、編集の方法を模索していったのだという。困った時には “映画の教科書”へと立ち返る。『アメリカン・パイ』を撮った監督たちとは到底思えないこの勉強熱心なところこそ、彼らのもう一つの魅力でもあるわけだが。
『アバウト・ア・ボーイ』(c)Photofest / Getty Images
それゆえ『アバウト・ア・ボーイ』には、感傷的になり過ぎない子供の表情が実に巧みに映し取られている。親に心配をかけまいと、自分の感情をそのまま表情に出すことはほとんどない。「これは埒があかない」と思うような事態に直面すれば、感情が爆発する前に自らの判断で背を向けて去ってしまう。こうすることで自分自身を守っているようにさえ思えるほどだ。しかしだからと言って早熟した大人かといえば、そうとも限らない。肝心なところではまだ子供であり、判断を誤ることもあるし、言葉にはしないが大人たちの助けを必要としている局面も多い。
本作は『大人は判ってくれない』のエッセンスを引き継ぐことで、この絶妙な心の移ろいをとてもナチュラルな感度で表現しているし、観る側も少年の心象に無理なく寄り添うことができる。この映画で主演のニコラス・ホルトは天才子役として賞賛を勝ち取ったが、その底辺にあるワイツ兄弟の奮闘をぜひ心に留め、本編を今一度じっくりと鑑賞してみることをお勧めしたい。