身体への意識が高い、若く貧しいダンサーたち
Q:ワンカットで撮影された冒頭、圧巻のダンス・シーンは最初に撮ったのですね?
ノエ:そうだ。あれは初日に撮った。振り付け担当のニーナ・マクニーリーが撮影の3日前に現場に入ってくれて、役者たちと顔合わせをした。その後に彼らの踊っているビデオを彼女に見てもらい、そこから振り付けを作っていった。リハーサルに要したのは2日間で、その場には私は立ち会わなかった。私が実際に彼らのダンスを見たのは、撮影初日の本番のときが初めてだった。どういう風に撮るのかということを含めてニーナが考えてくれたんだ。なので、そのときには撮影に必要なクレーンや機材がすべて準備されていた。
Q:それは少々意外ですね。きっちりコントロールされているのかと思いました。
ノエ:私がそのときまでに監督としてやった仕事といえば、キャスティングくらいのものだ。映画というものはキャスティングとスタッフの招集によって成立する集団作業だ。作品がうまくいくかは監督によって決まるわけではない。スタッフやキャストの才能を発揮させることが監督としての仕事だ。当然、そこには信頼関係がないといけない。信頼できない人は最初からスタッフには入れない。これは映画作りの鉄則だよ。
Q:キャストは演技未経験の若いダンサーばかりで、しかもセリフは彼らのアドリブだったとのことですが、どのようなコラボレーションを?
ノエ:まず、プロの役者はソフィア・ブテラとスエリア・ヤクーブの二人だけだ。ソフィアはダンスの経験があるし、スエリアは演劇畑の女優だがアクロバットの経験があり、肉体で表現することを熟知しているので、いずれもダンスに関しては問題なかった。彼女たちを除けば、カメラの前で演技をするのは初めてのダンサーたちだった。それでも彼らは、映画監督の前で演技を見せるということをとても喜んでいたよ。
物語の設定については、そのときそのときで彼らと話し合いながら作っていった。“こういう感じでやってくれ”“このセリフは面白かったけど、あれはよくなかった”みたいなことを話し合い、繰り返し撮影しながら作っていったんだ。ひとつのシーンで、15回前後は撮り直しをして、撮ったシーンの中からベストなものを選んだ。
Q:彼らのような若いダンサーは、どのように選んだのですか?
ノエ:とにかく前提は、ダンス・パフォーマンスができることだ。ほとんどはパリで見つけたが、バンリューという郊外の低所得者居住地域の出の若者たちが圧倒的に多かった。貧しい環境で育った彼らにとって、ダンス・バトルは自分を表現する場であり、同時にエネルギーを発散する場でもあった。だから、自分の身体に関する意識がとても高いんだ。
彼らは皆、陽気で楽しい存在で、肉体で表現することに長けていた。フランスの場合、俳優の多くは中流階級以上の出だが、この映画の場合は結果的に、ほとんどの出演者がバンリュー出身だった。子役がひとりいるけれど、彼もまたダンス教室に通っているバンリューの男の子だよ。
Q:人種や性別に関して配慮されたのでしょうか?
ノエ:それは意識していない。キャスティングに入る段階では、男性よりも女性を多く起用することになるのではないかと漠然と考えていた。人種に関しては、とくに意識はしなかった。キャスティングを終えてみると、男女半々で、肌の色や人種についても多彩になったと思う。