子どもの想像をそのまま映像に映したい
Q:脚本も奥山監督が手がけられていますが、子どもの時の経験を映画にしようと思ったのは、なぜでしょうか。
奥山:オリジナル映画の脚本を作るときって、自分の記憶から作る場合と、観察から作る場合の、大抵2パターンあると思うんです。ただ、記憶から作ると自分の体験を見せびらかすだけになってしまい、多くの人に共感されないのではと思っていました。なので、自分の記憶から作るのはあまり良くないなって、自分の中に大前提としてあったんです。
それでも自分の記憶を映画化したのは、体験をベースにしつつも、そこに明確なテーマを取り込むことができれば、多くの共感を得られるものになるのではと思ったんです。
Q:実際に監督が小学生の時の話なんですか。
奥山:そうですね。主人公の由来君と同じ、小学5年生時の体験がかなりベースになっています。
Q:テーマの一つである宗教の要素として、なぜイエス様だったのでしょうか。
奥山:子どもの頃は学校で毎日礼拝していて、自然と神様を信じていました。でも今考えると、クリスマスに生まれたイエス様とお寺にいる仏様と神社にいる神様、全然区別がついてないんです。全部、同じ神様だと思っている。そんな子どもにとっての絶対的な存在って面白いなと思ったんです。
タイトルを『僕は神様が嫌い』として、神様全体の話にしても良かったのですが、今述べた区別がついてない感じも含めて、宗教の不思議さを表現できたらと思い、イエス様を描きました。
また、これは違う軸の話なのですが、子どもの想像をそのまま映像に映す映画が好きでして、具体例を挙げるとキリがないですが、ディズニーとかジブリによくある手法を実写でやってみたいなっていうのもありました。最近だと『ジョジョ・ラビット』(19)もそんな感じみたいですよね。
Q:確かに!『ジョジョ・ラビット』はそうですね。
奥山:すごく楽しみにしてるんです。基本的にそういう作品が好きなので、その点からも登場人物にチャーミングな人を出したいと思い、イエス様を出すことになり、だったらキャストはチャド・マレーンさんに、という流れでした。
Q:本作では、冒頭から非常に現実的なトーンで話が進んでいきますが、突如イエス様が出てきて、ファンタジーの要素が少し入ってきます。それでも違和感なく共存していたと思いましたが、イエス様の表現で気をつけたところはありますか。
奥山:本当のイエス様として描いているわけではなく、あくまで主人公である由来の想像上のものとして描いていることを、明確にしようと思いました。そのためにはどうしたらいいか色々試しましたね。イエス様のサイズを実寸にして由来より大きくしちゃうと、本当のイエス様として表現しているとミスリードされかねないですし、厳かに佇んでいるよりはちょっとコミカルにした方が子どもの想像っぽく見えるかな、とか、そういうことを考えながら作っていきました。