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タイムマシン・デロリアンの最後のエネルギー【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.45】

タイムマシン・デロリアンの最後のエネルギー【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.45】

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未来に戻るための愛





 そういうわけで、パート3の本編にあたるルートCでは、クララの寿命はだいぶ延長されていることになり、さらにドクもマーティの介入によって死を免れる。その代わりマーティとタネンが決闘をすることになり、写真におさめていた未来のドクの墓標には、マーティが思いつきで名乗っていたクリント・イーストウッドの名が浮かび上がってしまう。つまりマーティの死が予告されるのだ。マーティがこの決闘をどう乗り切るかが物語の山場となるが、彼のほんの少しの成長と機転により見事タネンを負かし、ドクとともに機関車で押して加速させたデロリアンにより1985年に戻ろうとする。


 写真の中の墓石が跡形もなく消え去り、ドクとマーティの死は完全に回避されたことになるが、1885年に残した気がかりがひとつ。クララである。その前夜、ドクは自分の正体や未来に帰らなければならないことをクララに告白するが、彼女はそれを自分への侮辱と取り、激怒し、嘆いてしまう。ドクに裏切られたと感じた彼女は翌日汽車でヒルバレーをあとにしようとするが、ほかの乗客の発言から、ドクが酒場で夜通し嘆き悲しんでいたことを知ると、汽車を急停止させてドクの鍛冶屋に駆けつける。そこで彼女は、ドクがタイムトラベルの工程を実験するために作った模型を見て、彼の話が本当であることを知り、馬を駆って未来人たちのあとを追う。


 仮にクララが客車に乗ったままだったらどうなっていたか。もし後ろの席に、昨夜ドクと酒場で会った鉄条網のセールスマンが座らなかったら、もしクララに周りの会話が聞こえなかったら。クララの乗っていた汽車はあとでドクとマーティが機関車を盗むので、もしクララが乗ったままなら、彼女の旅はかなりの間中断させられることになるだろう。そして、悲しみに任せてヒルバレーをあとにしてきたのに、汽車が停まってほかの場所に行くこともできないという苛立ちがますます絶望を後押しし、結局そのまま渓谷に行き身を投げたということもありえたのではないか。だが、そうはならなかった。ドクに心を打たれた鉄条網のセールスマンはクララの後ろに座ったし、クララもなにも聞こえないほどには憔悴しておらず、なによりドクの想いはなにかしらの方法でクララに伝わったに違いない。彼女は自分の意思で列車を降り、ドクのもとに駆けていくことを選んだのである。


 機関車に追いついて飛び移ったクララは、前方にいるドクに自分の存在を知らせようとする。言うまでもないがここでもクララは例の渓谷にどんどん近づいている。ドクとマーティが未来に帰るための「道」が渓谷の先に続いているのは、彼らの未来への帰還が、クララの生死と深く結びついているからではないだろうか。ドクがクララの乗っていることに気づかなければ、あのままデロリアンに乗り込んでマーティとともにもとの時代へ帰れたはずだが、その場合、デロリアンが消えると同時に機関車はクララを乗せたまま渓谷に墜落する。クララが一度は死を免れたルートCにあっても、最後まで歴史があるべき姿に戻ろうと抵抗していたと言えるが、そうはならない。クララは汽笛を鳴らし、ドクはそれに気づく。気づいた以上、ドクにはクララのもとに戻るという選択肢以外ありえない。もうほかのルートはないのだ。クララが何度死の渓谷に近づいても、世界線の自然な収束など、ドクのクララへの愛にはかなわない。ドクは自身が散々マーティに説いてきた時空連続体やタイムパラドックスといった宇宙的な法則に、愛の力で打ち勝ってしまったのだ。


 ドクがクララを助けたのを見届けると同時に、デロリアンはタイムトラベルに必要な時速88マイルに達し、マーティだけが未来へと帰還を果たす。1985年に立てられている看板から渓谷の名前がイーストウッド渓谷になっていることがわかるが(クリント・イーストウッドを名乗っていたマーティが渓谷の先へと消えていったためだ)、このことはクララが渓谷に落ちて死ぬ運命から完全に脱したことのなによりの証拠である。マーティが未来に戻るということは、彼が渓谷の先へと消えることであり、同時にそれは渓谷の名前が変わること、クララを救うことを意味する。逆に言えば、クララを救わなければ未来には戻れないという構図でもあるのだ(ドクとマーティがデロリアンに乗り、クララが機関車とともに渓谷に墜落するルートは、もはやありえないだろうということは前述の通りだ)。


 本作はドクの物語と言える。もちろんマーティも持ち前の「キレ癖」を克服し、タネンの挑発はおろか、1985年に帰ったあとでも悪友ニードルズの挑発に乗らず、自身の運命を決定的に変えてしまう事故を回避したりと、成長によって自分の未来を切り拓くことになるのだが、それでも、やはりパート3はドクと、そしてクララの物語と呼びたい。死の運命から逃れたふたりは歴史上いてはいけない存在となったはずだが、どうして最終的にふたりの子どもにも恵まれるほどの未来を手に入れられたのか。これもぼくの想像に過ぎないが、ドクが一生添い遂げることで、クララは完全に渓谷の呪いから救われたのではないか。ドクと出会い、そのドクがタネンに撃たれることもなく、ずっと一緒にいてくれれば、クララにはもはや渓谷で死ぬタイミングがなくなる。ドクのほうも、クララとともに生きることで、真に1880年代の人物として居場所を見つけることができたのだろう。


 BTTFシリーズはそのタイトルの通り未来へと戻る物語で、トラブルに見舞われたタイムマシンにいかにしてエネルギーを送るかがキーとなっている。パート1のそれはプルトニウムや落雷のエネルギーで、パート3では単純にガソリンがなくなり、どうやって車を走らせるかが問題となる。しかし、最後の最後にマーティを未来へと送り出したエネルギーは、ドクとクララの愛だったのではないかとぼくは思う。一度はタイムマシンの発明を悔やみ、タイムトラベルが人類の手には余るとして消極的になっていたドクが、最後には再びタイムマシンを作り、時の旅や探究に前向きになれたのも、同じ原動力のためではないか。それを象徴するのはほかでもない、ふたりの間にできた子どもたちである。ジュールとヴェルヌという、科学へのロマンをそのまま表したように名付けられた子どもたちが、それらを証明している。


 また未来へ行くのかというマーティの問いに、ドクは「それはもう見てきた」とだけ言い残して機関車型のタイムマシンで飛び去っていくが、あれはきっと、彼が1985年の住人であることをやめ、クララや子どもたちとともに、別の時代を生きることを決めたという意味のように思う。ドクにとって、もはや自分が生きてきた世界そのものが未来なのである。物語の締めくくりとして素晴らしいと思う。



イラスト・文:川原瑞丸

1991年生まれ。イラストレーター。雑誌や書籍の装画・挿絵のほかに映画や本のイラストコラムなど。「SPUR」(集英社)で新作映画レビュー連載中。 

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