藤井作品に必要不可欠な“客観性”
Q:面白い……! 今お話しいただいたアプローチって、編集技師さんの裁量に任せる部分がかなり大きいってことですよね。
藤井:『光と血』(17)までは、連続ドラマも含めて全部自分で編集をしてたんですよね。『100万円の女たち』以降、古川と出会って一番良かったのが、同じ価値観を持った他者がいてくれるということ。
今って監督が自分で編集する流れが来ていると思いますし、「自分で編集した方が早いな」と思うことや、話し合いがうまくいかなくてイライラしちゃうこともあるんですよ(苦笑)。でも、僕は客観性をどれだけ保ちながら観客に届けられるかを大切にしています。そのためには、古川は必要不可欠な存在ですね。
僕は「ダビングステージ(音関連を最終的にミックスダウンするスタジオ)」という、本来編集技師があんまり来ない現場にも、古川に立ち会ってもらっています。最後の音の作業までいてもらう理由は、「こういう音が来る」と思って編集をしている編集技師のプランを、録音技師と共有してもらいたいからなんです。
Q:「脚本編」でも、藤井さんは「“客観性”を大事にしている」とおっしゃっていましたね。
藤井:自主映画だったり、自己完結するものだったら、「全部自分でやる」で良いと思うんですよ。でも、あくまでも商業という、人様からお金をもらって自分の主観を撮らせてもらってる以上、独りよがりになってしまうことが、すごく怖くて。
そうならないストッパーとしても、自分のチームには存在していてほしい。藤井組のみんなは映画を“自分事化”してくれてるから、「みんなで作った映画をどうスクリーンに反射させるか、どう観客に届けるか」を、常に意識しています。もう、客観性こそが自分の作品の特徴なんだと思いますね。
古川でいうと、彼は良くも悪くも現場に来ないので、僕たちがすごい熱量で撮ったものを、バスッと切ってきたりするんですよ。そういうときだけは、ちょっとイラっとして「いや、なんであのカット使わないの」って問いただしたら、「え、あのカット良かった?」みたいな、結構失礼なことを言ってくるんですけど(笑)、その冷静さというか、自分なりの目線があるのは非常に助かりますね。
古川:(笑)。今、監督のお話を聞いて思ったんですが、僕自身も極力、主観性を持つようにしていますね。監督はどういう目線で見てるのかなっていうのは同時に考えつつ、でも迎合はしない。脚本を読んだり、撮影されたものに対して、自分はどこに感動するかとか、どこにストーリー性を求めるか……。「自分はこう思ってる」っていうのをしっかり持たないで編集したものを見せて、監督からめっちゃダメ出しくらったことがあって、学びました。
藤井:僕が古川によく言ってるのは、「編集技師としてのディレクションが弱い」ということ。例えばまずはつなげてくれたけど、まだここに古川の演出が入ってないよねって思うときは、指摘しますね。
古川:時間がね……足りない(笑)。
藤井:って言ってますが(苦笑)、今お話ししたように、僕らって何か月も編集しちゃうタイプで、『宇宙でいちばんあかるい屋根』に関しては、実はCGが上がってきてから、また編集させてもらってるんですよ。
でも、自分たちが「そもそもこの映画、何のために作ったんだっけ」ってなるぐらい観て、粗を探して、感情の流れが丁寧かどうかとか、ここは隠した方がいいとか、何回も何回もやり取りしていくと、お互いのディレクションがシンクロしてくるんですよね。
Q:すごくいいお話ですね……。「ただ繋ぐだけじゃダメだ!」という、藤井さんから古川さんに向けた信頼が、そこに見える気がします。
藤井:技師からすると、たまらなくいやだと思うんですけどね(苦笑)。
Q:でも、「自分の思う通りに編集してくれ」じゃなく、「みんなで映画を作っていこう」こそが、藤井さんが大事にされている“ものづくりの極意”ですもんね。
藤井:そうですね。「俺がこう言ったからこうなんだよ」ってだいたい合ってないんですよ(笑)。
みんなの主観性を疑って、疑って、何が本当に正しいんだろうって考え続けるのが監督の仕事だとしたら、撮影監督、編集技師、録音技師のみんなには、オフェンシブにディレクションしてほしいですし、その人たちと一緒に決めていくことが楽しいんです。