「過程ではなく、結果」の中、どう演じていくか
Q:なるほど……。本作では2人が「佇む」シーンが多く、観客に「感じさせる」部分が多分に含まれていると感じました。観ている方としては心地よい時間でしたが、演じる側の感覚は、いかがでしょうか。
村上:僕はセリフがない方がやりやすいです(笑)。ただ、喜怒哀楽がはっきりしたシーンを演じると、役柄が一発でわかるんです。そういう意味では、今回の「佇む」シーンの多さは、役をつかむ上では大変だったかもしれません。
芋生:「佇む」って、何か目的があってそこにいるんですよね。きっとその人物は、目の前の景色だけじゃなくて、もっと別のことを考えている。言葉も動きもないんですが、感情の全部が繊細に映ってしまうからこそ、自分の中で“理由”を見つけないといけなかったです。
村上:そうですね。ただ、『永い言い訳』(16)の本木雅弘さんのインタビューを読んで衝撃的だったんですが、「役者が持ってきた感情って、極論映らなければ何の意味もない」と。西川美和監督が欲しがっていたものは、「お客さんを納得させる」ことで、そこに到達できればアプローチは何でもいい、と語っていて。
また、これは別の例なのですが、とある海外の映画で、主人公が道に佇んでいる男の子に話しかけるシーンがあるんです。ただそれはゲリラ撮影で、その少年はたまたま居合わせただけ。知らない人に話しかけられてびっくりした少年が逃げていくんですが、それを観たお客さんは「いい演技だった。迫真のシーンだった」と言うんです。
そういった事例がある中で、「佇む」をどう“見せて”いくかというのは、本当に難しくて。表現していることと、伝わっていることが違う――想定していた以上に伝わってしまうこともあるから、把握しきれない反面、面白いです。