ソワレ。フランス語で、「日が暮れた後の時間」を指す言葉。演劇好きには、「夜公演」としてなじみ深い(昼公演はマチネという)。
この名を冠した本作は、夜の闇が迫りくる中、明るい場所を目指してもがき続ける男女の逃避行だ。オレオレ詐欺に加担して日銭を稼ぐ売れない役者・翔太(村上虹郎)は、故郷・和歌山の高齢者施設で働くタカラ(芋生悠)と出会う。役者仲間とともに夏祭りに行く約束をする2人だったが、タカラの前に刑務所から出所した父親が現れる。
タカラに暴力をふるう父親を、止めに入った翔太。極限状態で、父親を刃物で刺してしまったタカラ。一線を越えてしまった2人は、手を取り合って逃亡。彼らの明日に、希望はあるのか――。
外山文治監督が書き下ろした、心がひりつく物語の主人公たちを演じたのは、村上虹郎と芋生悠。『ディストラクション・ベイビーズ』(16)や『銃』(18)で知られる村上と、『左様なら』(19)や『37セカンズ』(20)で存在感を発揮した芋生。共に1997年生まれの2人は、次世代の演技派として、着実に活躍のフィールドを広げている。
豊原功補と小泉今日子が、映画初プロデュースをしたことでも注目を集める本作で、村上と芋生は何に挑み、何を得たのか。変革の時を生きる2人が紡ぐ、演技論をお届けする。
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2人が試行錯誤した、「難役」との向き合い方
Q:おふたりが役者であることを忘れてしまうような、「生きた」演技が印象的でした。ただ、コメント等で「かなりの難役だった」と話されていますよね。どの辺りが大変だったのか、或いはやりがいを感じたのでしょう?
芋生:タカラというキャラクターは幼少期にトラウマがあって、半ば人生をあきらめているんです。しかも狭い世界で生きていて、“外”の空気に触れていない。同じ景色ばかり見ている中でどう抜け出していいか分からなくて……、ただその中ででも、小さいけれど希望の光を持ち続けている。それを一緒に守る、という感覚でした。
私自身がタカラに“なる”というよりも、共に歩んでもっと光のある場所に向かう――それがモチベーションであり、演じるうえでの“核”でしたね。
私自身、様々な経験をしていく中で、もどかしさとか腹立たしさを感じることもあるので、そこも全部ひっくるめて、タカラと一緒に希望の方に向かうことが、やりがいでした。
村上:翔太という役に難しさを感じたのは……、この映画を観てくださる方の何割かは、僕のことを知ってくれているわけじゃないですか。つまり、役者である僕が、役者を演じることへの落としどころをどう作っていくか。役者とかお芝居の世界って、演じるうえでは僕たちが一番知識的にも経験的にも詳しいのかもしれない。ただ、知っているからこそ責任が重くもある。
プラス、キャラクターの個性がつかみづらいところですね。「翔太ってこういう人だ!」ということが、ぱっとわかりやすい役じゃない。逆に言えばいくらでもやりようがあるんですが、“自由の不自由”を感じました。役者について全く知らなければ「こういうもんだろ」と思って演じられたんですが、ちょっと知っちゃっているもんだから、難しかったですね。