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『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』山崎エマ監督 NYから帰国後、高校野球が日本社会の縮図に見えたんです。【Director’s Interview Vol.73】

『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』山崎エマ監督 NYから帰国後、高校野球が日本社会の縮図に見えたんです。【Director’s Interview Vol.73】

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高校野球に重ねた日本社会



Q:最初はアメリカで放送されたとのことですが、アメリカ人から見た感想はどういったものでしたか。


山崎:去年の11月にニューヨークドキュメンタリー映画祭で上映があった時に、観客から直接感想を聞けたのですが、いろんな反応がありましたね。


野球が好きな人たちは、報道の影響もあり高校野球の投球数問題のことだけは何故か知っていて、「クレイジーな投球数を一人で投げるんだよね。」ってそれだけの知識はあったようなのですが、今回の映画で、日本人の野球に対する思いを感じて、改めて知らない世界に触れたような感じでしたね。


また、野球にそれほど詳しくない人は、日本のイメージといえば、アニメ・サムライ・スシだったり、無表情で働き続けるサラリーマンだったらしいのですが、映画の中で高校球児たちが泣いている様子を見て、日本人もこんなに感情豊かになるんですねって驚いていたり、17~8歳足らずの選手たちの、責任感やメンタルの強さに関心していましたね。選手たちの坊主頭にも驚いていたようでした。


全体的には驚きと尊敬を持ってくれたようで、自分の息子にこの映画を見せたい!とか、甲子園をアメリカでも放送してほしい!とかいう意見も出ていましたね。




Q:高校野球が日本社会の縮図になっているというのは、映画を見ていると確かに強く感じました。これは取材を進めるにつれて、監督ご自身も体感として深まっていったのでしょうか。


山崎:取材していた当時は、甲子園が100回記念大会の年だということもあり、高校野球はいわゆる分岐点にいたと思います。その分岐点にいる状況が日本社会と重なっているなと感じていました。


戦後の高度経済成長期に頑張った世代がいて、そういった世代の方々が全国各地の高校で野球を教えていた時期があります。有名な池田高校の蔦文也監督の世代ですね。当時の練習は痛みも厭わない相当厳しい指導でしたよね。その世代に影響された次の世代が、映画に出てくる横浜隼人高校の水谷監督なんです。


世代が変わっていくのと同じく、時代は昭和から平成へと変わり、世の中も変わっていきます。高度経済成長で一気に発展して、世界的にみても裕福な国になったのに、自殺者が多かったり、働きすぎて過労死してしまったり、裕福になったはずなのに幸福ではなくなってしまっている。そんな状況に伴って日本社会自体が変化を求められている。


取材していた当時は「働き方改革」が叫ばれていて、その影響は高校野球にも少なからずあったように感じますね。これまで根性論でやってきた練習に対して、科学的な方法を取り入れるなど、指導方法にも変化の兆しが見られたと思います。奇しくもその象徴として、取材していた花巻東高校の野球部が坊主頭を廃止するという、大きな変化にも立ち会うことになりました。


変えなきゃいけないものもある。でもいいものは残して伝えていきたい。私自身が日本を出て海外から日本を見たからこそ、日本の良いところはすごく感じていて、そのままでいてほしい気持ちも強いのですが、その辺のバランスは難しいですよね。



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