人間愛を描き続けてきた男がいる。映画監督・中野量太。
『チチを撮りに』(12)、『湯を沸かすほどの熱い愛』(16)、『長いお別れ』(19)――彼は初期作から一貫して、家族を中心にした“人間”を暖かく、ユーモラスに見つめてきた。そんな中野監督が、二宮和也を主演に、オリジナルストーリーに挑む。
中野量太監督最新作の『浅田家!』(20)は、自分の家族が持っている「なりたかったもの・やりたかったこと」という願いを具現化したユニークな写真を発表し、“写真界の芥川賞”・木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家・浅田政志の2冊の写真集を元に描いたストーリー。
本作では、彼の半生を描きつつ、東日本大震災の津波で泥だらけになった写真を洗浄し、元の持ち主や遺族に返す「写真洗浄」についても言及。家族に扮した二宮、風吹ジュン、平田満、妻夫木聡の熱演も相まって、観る者の涙腺を刺激する、感動のエンターテインメントに仕上がっている。
自主映画時代から変わらず、コツコツと自分が信じる道を進んできた中野監督は、東宝というメジャースタジオで、何を経験したのか。作品の舞台裏を、自身の作家性に対する思いと共に、ざっくばらんに語ってもらった。
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「いつか東日本大震災と向き合わなければ」という思い
Q:以前お話をお伺いしたときに「いつか東日本大震災と向き合わなければならないと思っていた」と語っていらっしゃったのが印象的です。本作で、その思いが形になったのかなと感じました。
中野:やっぱり僕ら映画監督って、フィクションを作る仕事じゃないですか。それで観てくれた方を前向きにできたり、楽しくさせるのが自分の役割だと感じていたのですが、あの圧倒的な現実を見せられたときに、どうしようもない虚無感に襲われてしまったんです。何をやっていいか、わからなくなった。
すぐに行動して、震災を描いた作品を作る監督もいたけれど、それを傍目で見ながら「自分はいまはまだ動けないな……」と感じていて、だからといってボランティアに行くかといったらそうでもなく……心の中では自分の仕事で力になりたいと思っていたけど、動けなくて。だからずっと、自分の中にあった思いなんですよね。
Q:監督作『長いお別れ』(19)でも震災の描写は出てきますが、もっとがっつり描くというか。
中野:はい。メインで描くことは、いつかやらなければならないと思っていました。
Q:ただ同時に、「最初は、震災をエンターテインメントとして描くことに葛藤があった」ともおっしゃっていましたね。
中野:自分がやるからには、「ははは」と笑えるという意味でのエンターテインメントではなくて、観終わった後に「ああ、いいものを観たな」と感じられる映画にしたいと思っていました。ただそれを「震災」という題材でできるのかは悩みどころでしたし、すごく怖かった部分でもあります。
ただ、2つの出会いが、勇気を与えてくれました。1つは、モデルとなった浅田政志さんに出会ったこと。彼を通して、津波などで汚れてしまった写真を綺麗にして、持ち主や家族に返す「写真洗浄」という活動を伝えたい、という使命感に駆られました。
もう1つは、被災された人たちに取材させていただいたこと。僕が思っていたよりも、みんな前を向いていたんです。絶対に心の奥には傷があるのに、前に進んでいて、そこでようやく「表現してもいいんだ」と感じられた。その代わり、被災地の方にも見てもらえるような、恥ずかしくないものを作らなければいけない。そこで吹っ切れましたね。
この出会いがなかったら、きっと僕は恐々としながら作っていたと思います。