映画監督と、プロデューサー。時にぶつかり、時に支え合って作品を生み出す、“戦友”のような存在だ。優れた映画監督の裏には、必ずと言っていいほどその才能にほれ込んだプロデューサーの存在がある。
芦田愛菜が約6年ぶりに主演した映画『星の子』(10月9日公開)も、監督とプロデューサーの友情から生まれた作品だ。大森立嗣監督と吉村知己プロデューサーは、10年来の友人。吉村氏が芥川賞作家・今村夏子氏の名著を大森監督に渡したことが、きっかけだったという。芦田へのオファーも、吉村氏の提案が実った形だ。
プロデューサーが“場”を作れば、監督は“作品”で応える。大森監督が書き上げた渾身の脚本は原作者をもうならせ、芦田から引き出した生の表情は、彼女の女優人生のターニングポイントとなっていくだろう。
『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(10)、『まほろ駅前多田便利軒』(11)、『日日是好日』(18)、そして『星の子』(20)――。10年にわたるふたりの歩みを、最新タッグ作の舞台裏と共にお届けする。
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契機となった「映画はゲーム」という言葉
Q:おふたりが初めて出会ったのは、大森監督の長編2作目である『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』だそうですね。
吉村:はい。当時は僕は宣伝プロデューサーで、今回の『星の子』のような関係性とはまたちょっと違っていました。僕は宣伝担当で、大森さんは監督。ちょっとした距離はありましたね。
ただ、大森さんとお会いして「カッコいいな」と思ったことを覚えています。大森さんは俳優もやってらっしゃるから、いわゆる「映画監督」とはまたちょっと違った雰囲気でした。
大森:(笑)。孫家邦さんという名物プロデューサーがいて、彼を介してお互い存在を知ってはいたんですよね。
吉村:そうそう。今でも覚えているのは、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』の公開後に、大森さんと孫さんと飲んだこと。そのとき、興行成績が思ったほどいかなくて、悔しくて……。「力及ばずすみません!」って謝ったら、おふたりが「映画は、ゲームみたいなものだから」っておっしゃったんです。
いまでこそ、この「ゲーム」という言葉の意味――結果が約束されているわけじゃないものに本気で取り組むこと、の面白さや矜持がわかってきたんですが、その当時の僕は「ゲームって何ですか! 遊びじゃないんです、こっちは真剣なんです!!」って逆ギレしちゃって(笑)。それを見ておふたりが爆笑して……。
大森:あったね、そんなこと(笑)。
吉村:そういったこともあり、一緒に飲む回数を重ねていくうちに徐々に距離が縮まっていきました。監督とは年も近いし、酔っ払ってケンカもしたりして(笑)。
大森:僕が覚えているのは、吉村くんが『まほろ駅前多田便利軒』のことを「すごく好き」って言ってくれたこと。あのときは嬉しかったですね。
Q:『まほろ駅前多田便利軒』では、吉村さんがプロデューサーとして参加されていますね。宣伝プロデューサーからプロデューサーに役割をスライドさせた理由は、どんなところにあるのでしょう?
吉村:宣伝プロデューサーとプロデューサーって、どのタイミングから作品に関わるかの違いはあるんですが、向かう先は同じ。だからそもそも、僕の中では明確な境はとくにありません。作品によって、表記されるクレジットが変わっていった感じです。
もともと僕は映画業界に入って十年くらい宣伝をやっていたこともあり、宣伝としての意識が強いんですよね。企画プロデューサーとしては、まだまだ半人前だと思っています。だからまだ、はっきり「ここがこう違う」みたいに分けられない部分もあります(笑)。
例えば映画には、2回の完成があると思うんです。1回目は、初号試写を終えたタイミング。そしてもう1回は、公開初日を迎えたタイミング。僕はできることならどっちのタイミングも立ち会って、最後まで作品と走りたいタイプなので、そういった意味での「作品とがっつり関わりたい」という思いはあるかもしれませんね。
Q:ありがとうございます。その後は少し空いて、『まほろ駅前狂騒曲』(14)で再び組み、『日日是好日』、『星の子』と続いていきますね。
大森:そうですね。ただ、『さよなら渓谷』(13)のときも吉村くんに「プロデューサーで入れない?」みたいな相談はしていたから、そんなに空いた感覚はないかもしれない。