この役は、僕にしかできない
Q:今お話しいただいた通り、本作における演出と脚本と演技の相性、つまりおふたりの関係性が非常に良いと感じました。例えば、イメージのすり合わせで同じ映画を観る、などはされたのでしょうか。
佐藤:『 アンダーグラウンド』(95)かなぁ……。
仲野:ああ、「1回観てみよう」という話になりましたね。
佐藤:結果的に全く違う方向になりましたが(笑)。
仲野:(笑)。この映画にどんな表現を加えたらもっと面白くなるだろう?と色々模索しましたよね。あとは『 マンチェスター・バイ・ザ・シー』(16)かな。
Q:ああ、なるほど!
佐藤:あの主人公はもう少し父性を強く持っていたけれど、本作のたすくはもう少し曖昧だよね、という話はしました。
Q:「父性」というキーワードは、興味深いです。本作の根底にあるものですよね。
佐藤:父性って結局、自分の父親との距離でしかない。自分と父親の距離が近づいたり遠のいたりしていくなかで「父親像」というものを見つけていくものだと思うんですが、本作の主人公のたすく(仲野)には父親の記憶がないから、うまく父親像を結べないキャラクターだと考えています。だからこそ、相対的に他者と自分を比べながら、その中で「父親とは」を探していく。
僕自身も、20代後半になって同級生たちが親になっていくなかで、自分も父親になると当たり前に思い込んでいた未来がどんどん遠ざかっていく感覚がありました。そんな自分が父性をめぐる物語を撮ったときに、何か新しいものができるんじゃないかとは思っていましたね。
そういう意味では、自分が思っていることを表現したいというよりは、この映画の中で探したいという感覚で作っていました。模索する過程が映っているといいな、と思いながら撮影していましたね。
仲野:僕自身も、芸能界に入ってから「なんでもっとうまくいかないんだろう」「なぜもっと大人に振舞えないんだろう」と、思い描いていた「大人」と自分自身とのズレをすごく感じていた時期がありました。いまでさえ、そのジレンマを抱えています。
僕は今回この脚本を読んだときに、たすくも同じような思いを抱えているんじゃないかと感じました。それは“共感”だと思うんですが、彼自身も大人になりきれないまま時間が経ってしまったし、妻のことね(吉岡里帆)からかけられた期待に応えられないまま終わってしまった。
そこが演技の出発点だと思ったし、その感覚は誰しもが抱えているものだとも感じました。この脚本だったら、二十代である僕の等身大をいかんなく発揮できると思ったんです。やってみた上での意見ですが、この役は僕にしかできないと感じています。