『由宇子の天秤』春本雄二郎監督 シリアスな社会性と娯楽性を高度に一致させた今年度最重要作は、いかにして生み出されたのか【Director’s Interview Vol.141】
一見静かだが、底に熱いマグマのような奔流がある。観客は見終わった後も、そのマグマにあてられた熱をいつまでも身内に感じ続ける。『由宇子の天秤』はそんな感覚を与えてくれる今年度の最重要作だ。
ドキュメンタリーディレクターの由宇子は、いじめ自殺事件の真相を追う番組を制作する最中に、自分の父から衝撃的な告白を聞く。真実を追求し、社会に向けて発信しようとする表現者は、その刃が自らに向けられた時、一体どんな行動をとりえるのか。誰もが情報の発信者となる現代において、シリアスで重要なテーマを描いているため、粗筋を聞くと、「社会派」というワードがよぎるだろう。もちろん「社会派」の側面もありつつ、本作の骨格を支えるのは、優れた映画が持ち得る、まごうことなきエンターテインメント性なのだ。154分という決して短くないランニングタイムだが、観客は主人公と共に、理性と感情がせめぎ合う濁流の中でもまれながら、あっという間に衝撃のラストへと流されていく。
本作は、監督春本雄二郎にとって『かぞくへ』(16)に続く長編2作目。1作目と同様、自ら資金を調達した「自主製作映画」である。だが、脚本の素晴らしさと確かな演出力で、自主製作であることなど全くハンデとなっていない。むしろ、商業的縛りがなかったことがプラスに働いており、それが監督の話を聞くことでよくわかる。今回インタビューをして強く感じたのは、映画という表現手段に関して、監督がしっかりとした方法論を確立していること。資金が乏しい中、春本監督はいかにしてその方法論を駆使し、映画を作り上げたのか。
Index
- ドキュメンタリーディレクターを主人公にした「ねらい」
- 役者の想像力を奪わないためのリハーサル
- 観客の想像力を刺激する撮影スタイル
- 予算がない中での美術や音響効果へのこだわり
- 映画製作を後押してくれた街、群馬県高崎市
- 現場に活かされた京都での助監督経験
ドキュメンタリーディレクターを主人公にした「ねらい」
Q:本作はドキュメンタリー番組のディレクターである由宇子が、仕事に対する信念を貫こうとするがゆえに、判断の難しい立場に追い込まれていく様が印象的です。私はテレビ番組のディレクターでもあるので、彼女にとても感情移入して拝見しました。なぜ主役にテレビのディレクターを据えたのでしょうか?
春本:この映画を構想するきっかけになったのは、ある小学校で起きたいじめ自殺事件でした。その事件では加害少年の父親と、同姓同名の人がネットリンチを受けていたんです。加害者本人に対してではなく、その家族に非難の矛先が向き、さらに同じ名前の全く無関係な人までリンチされてしまう。これだけバッシングが過激化する時代って恐ろしいと思ったんです。そんな時、加害者家族を取材してドキュメンタリー番組にしているディレクターが、自分自身も加害者の家族になってしまったらどうするだろうか、と想像したんです。
ドキュメントする側の人間が「自分がやっていることは正しい、世の為になっている」と考えていたとしたら、自分が加害者家族になることによって、その正義も揺るがされてしまいます。その時、ディレクターは自分の闇に対してカメラを向けることができるのか。そういった物語の構造自体が興味深いと思ったんです。
『由宇子の天秤』© 2020 映画工房春組 合同会社
Q:映画によって社会問題を訴えたいというよりは、その物語の構造によって生じる、人間の葛藤を描きたいということなんでしょうか。
春本:僕は映画を作る時、問題提起が目的になってはいけない、その先が大事なんじゃないかと思っているんです。問題をどう解決するか、社会がより豊かになるために、どんなメッセージを表現するのかが映画にとって大事なわけです。だからこそ加害者家族になってしまった人間が、何をどう選択するのか、それをドラマにしたいと思いました。
Q:主人公の由宇子のようなハードな状況に直面することは、かなり稀有なことだと思います。でも映画を見ると、身につまされる説得力がありました。感情移入を促すため、監督としてこだわったポイントはありますか?
春本:説得力がどこで生まれるかというと、必然性なんです。主人公の行動がご都合主義にならないように、必然性を盛り込むようにしていますね。こういう状況なら、登場人物はこう行動せざるを得ない、という。その必然性をいかに生み出すか、脚本ではそこに一番時間をかけている感じです。