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テレビドラマ/CM出身からみた映画業界とは 〜メディアを超える映画監督〜 大根仁×吉田大八イベントレポート Vol.1(全2回)【CINEMORE ACADEMY Vol.22】

テレビドラマ/CM出身からみた映画業界とは 〜メディアを超える映画監督〜 大根仁×吉田大八イベントレポート Vol.1(全2回)【CINEMORE ACADEMY Vol.22】

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前回大好評いただいた「CINEMORE ACADEMY」オンラインイベントの第二弾! 8/31(火)に実施されたオンラインイベントを記事化しました。全2回でお届けします。


今回のゲストは大根仁監督と吉田大八監督。映画・ドラマ・CM・舞台と、表現の場を横断して活躍する映画監督たち。ヒットを生み続けるクリエイターの姿に迫ります! ぜひお楽しみください。




【ゲスト】大根仁 / 吉田大八 50音順/敬称略

 

【MC】CINEMORE編集長 香田史生 敬称略



イベント詳細はこちらから


Index


映画監督に至る原点



Q:大根監督はドラマを中心としたテレビ番組、吉田監督はCMディレクターと、お二人とも映画界以外のご出身ですが、最初から映画監督を目指されていらっしゃったのですか。


吉田: 8ミリで自主映画を撮っていたので、いつか35ミリで撮ってみたいという気持ちは普通にありました。ただ僕が就職した1980年代の後半当時、いきなり映画業界を目指すという選択肢にあまり現実感が持てなかったんです。PFFみたいな場で結果を出していればまた違う道があったのかもしれませんが。


大根:映像への興味はなかったんですか?


吉田:映画だけじゃなく、ややマイナーな音楽や小劇場演劇など、当時の学生がハマるものにひと通りハマっていたので、なんとなくその周辺で生きていけたらいいなとは思っていました。よくわからないまま東宝演劇部の面接を受けたりしながら、結局TVCMのプロダクションに就職しました。当時は今より、広告業界は就職先として人気があったと思います。


大根:吉田さんが東京に出てこられたのは大学からですか。


吉田: 82年に上京して、まず予備校からでした。


大根:僕はその頃中学2年生くらい。東京の近郊育ちで、似たようなカルチャー環境で育ちました。この時代、映画ももちろん面白かったんですが、ライブシーン、インディーズシーン、演劇、テレビ、CMと色んな表現のジャンルがすごく面白かった。だから60年代や70年代みたいに、映画が一歩抜けている環境ではなかったと思いますね。


Q:お二人とも映研には所属されてたんですか。


吉田:大学のときに所属していました。


大根:高校時代に映画研究部の部長だったんですが、1本も撮ることなくずっと部室で麻雀していました(笑)。


Q:それは見る方の部ではなくて、作品を撮る方の部活だったんですか。


大根:撮る部でちゃんと機材もあったんですが、部費で麻雀卓を買ってしまって(笑)。そもそも部員が自分ともう1人ぐらいしかないような部でした。


Q:私も大学生のとき映画サークルに入っていたのですが、撮るのってちょっと恥ずかしいですよね。


吉田:撮るのが恥ずかしい感覚はなんとなく分かります。高校に映画部はなかったんですが、クラスで映画を撮った時、監督した人は “巨匠”というあだ名をつけられてました(笑)。


大根:『桐島、部活やめるってよ』(12)でも描かれているように、映画研究部や演劇部は文化部ヒエラルキーに属するんですよね。


吉田:大根さんはスポーツはやっていなかったんですか。


大根:中学までサッカーをやっていました。高校から一気にカルチャー思考になっちゃったんです。だから『桐島〜』を見ていると、登場人物の男子全員に感情移入できるんですよ。体育会系のあのノリもわかるし、途中で辞めちゃったりする気持ちもわかるし、映画研究部の気持ちもわかる。昨日久々に見返したんですけど、何回見ても胸がかきむしられますね。


吉田:『桐島〜』って、すごく気持ちを入れて観てくれる人が多いんです。ただ僕はけっこうのんびりとした高校時代を送ったせいか、時々自分だけ置いていかれるような気がして不安になります。映画を撮っている最中も撮った後も、ここまで熱い反応はあまり想像していませんでした。


最初はそれほど感じなかったのが、大根さんやミュージシャンの方々など、影響力のある皆さんがSNSで応援してくれたことで、うまく転がり始めた感じでした。


大根:口コミがすごかったですよね。


吉田:僕もその頃やっと、スクールカーストという言葉があることを知りました。


大根:世代は違えど、似たような構造があるじゃないですか。高校生のあのノリというかスクールカーストにおける空気の読み合い。それを吉田さんが完全に理解していたわけではなくて、むしろ出演している子たちが“あるある”みたいな感じで作っていったんですかね?


吉田:そうですね、あとは一緒に脚本を書いた喜安浩平さんの存在も大きかったです。僕は高校生のときは音楽にしか興味がなかった。『桐島〜』の神木くんにとっての映画が、僕にとっては音楽、みたいな意味で『桐島〜』の感情的な要素も、あることはあったと思う。それが喜安さんとの作業や、まだ高校生時代の生々しさを残す俳優たちの演技を通じて濃くなっていったんだと思います。


大根:『桐島〜』は、岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(93/95)をちょっと思い出した感じがありました。もちろん緻密な脚本と演出はあるけれども、それを超えて、若い役者たちが現場を楽しんでいて「これ自分たちの話じゃん、絶対にいい作品になるから頑張ろうぜ」という感じが伝わってくる。


吉田:自分は、その勢いに素直に乗ったんです。





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