映画は闘いだ
で、第三部「民衆の力」だ。この映画のポイントだと思う。労働者のインタビュー集。様々な職場の「持たざる者」が階級闘争を語る。僕ね、正直に言ってこの第三部は苦手なんですよ。いわゆる共産主義の「細胞」でオルグされ、一種教条化したスローガン、闘争方針が語られる。言ってることが皆、同じだなぁと思ってしまう。
ただここが『チリの闘い』のすごさでもある。第二部までで「政府&民衆はいかにして敗れたか」が語られ、それを受けての第三部だ。色んな「細胞」の色んな労働者が闘い続けると宣言する。映画には役割がある。左派は負けたんだ。政権はピノチェトが掌握した。『チリの闘い』は上映禁止になった。上映禁止になった映画はどうやって観客に届けられる?
『チリの闘い』(c)Photofest / Getty Images
つまり、禁書だ。禁書が人づたいに読み継がれるようなものだ。一部二部で「こういういきさつだった」「こうやって負けた」が描かれた後の第三部は「でも、闘い続ける人がいる」を具体的に見せる。闘う人の言葉を次々に見せて、その闘魂をフリーズドライする。もちろん闘魂はいずれ必ず解凍される。闘う人の生き生きした顔。切実な語調。その現物感。
『チリの闘い』は現代のシネコンとはまったく違う「映画の届き方」を教えてくれる。あぁ、こういう映画もあった、映画は闘いだと教えてくれる。見に行ってよかった。その日は他に何もせず、映画のことを考える日になった。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
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