なぜ『リコリス・ピザ』は懐かしいのか?【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.4】
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いい映画だったなぁ。東宝東和試写室を出てからずっとウイングスの「レット・ミー・ロール・イット」のギターリフが頭のなかで鳴りっぱなし。地下鉄半蔵門線に乗ってからは、受付でいただいたパンフレットの「リコリスの味がする青春のプレイリスト」(村尾泰郎氏)を読み込み、あ、そうか、あのシーンこの曲かかってたなぁとひとり頷いていた。
『リコリス・ピザ』はポール・トーマス・アンダーソン監督の青春映画だ。描かれているのは70年代最初の南カリフォルニア。この70年代最初っていうのは隙間みたいなビミョーな時代なのだ。熱狂と反抗の60年代が終わって、オイルショックやドルショックの70年代がやって来る。全ては変動し、この世界に絶対的な価値なんかないと思い知らされた感じだ。熟語を用いてひと言で表現するなら「停滞」の季節だろうか。そのどこにも行き場のない感覚、急に予定や目的がなくなってポカーンとたたずんでるような感覚は(特に初期の)村上春樹が好んで描いた。
『リコリス・ピザ』予告
『リコリス・ピザ』はその時代を知ってる人はもちろん、(ここが大事なところだと思うけど)知らない人にも懐かしい映画だ。それはもちろん青春の輝きは誰にとっても永遠だから。
という嘘を今、書いた。
僕はもう大人だから矛盾する二つのことを両方思っている。「青春の輝きは永遠だ」「そういうのは勘弁してくれ」。実際のところ、僕の10代はあんまりそんなのと縁がなかった気がする。夏のうだるような暑い日、(何度も見た)再放送ドラマを見ながらカップやきそば食べてたのが僕の「青春」だったんじゃないか。
僕はとても面白いことだと思うのだ。なぜ『リコリス・ピザ』はみんなにとって懐かしいのか?
たとえば映画のなかで当時のヒット曲がかかれば「懐かしい」だろうか? 先の村尾泰郎氏のリストを見ると、映画使用曲には2パターンあることがわかる。ジュークボックスや店内BGMのように物語のなかで実際に流れていて「登場人物にも聴こえている曲」と、シーンの雰囲気づくりや劇的な効果を狙って(物語の登場人物には聴こえてないが)「観客だけに聴こえている曲」だ。ウイングスの「レット・ミー・ロール・イット」は青春としか言いようのない象徴的なシーンで使われるが、後者(「観客だけに聴こえている曲」)だ。特徴的なギターリフは主人公たちの胸の高鳴りやうずきに対応している。とても音楽がジャストフィットしている。
僕は劇中で当時のヒット曲を連発すれば「懐かしい」になるわけじゃないという意見だ。それは代理店の企画書みたいなぺらっぺらな音楽へのアプローチだ。本当に作劇として「懐かしい」ためには音楽は血肉化し、身体化していなくちゃいけない。それは見る者に丸わかりだ。バレバレ。『リコリス・ピザ』のヒロインを演じたアラナ・ハイムが、姉妹で組んだバンド「ハイム」のヴォーカル、ピアノ、ギター、ドラムスだと知って、なるほどなーと思った。彼女はトップシーンにニーナ・シモンの曲がかかると知って、その曲に合わせたテンポで歩いたという。
細部に神は宿る。ポイントになるところが的確に押さえてあれば全体が生き生きと動き出すものだ。「リコリス・ピザ」はピザ屋の名前のようだが、実は70年代、南カリフォルニアに実在したレコードショップのチェーン店だそうだ。カルチャーの発信基地のような役割を担った店で、客には無料のリコリス(甘草)が振舞われたという(甘草を嚙みながらみんなレコードを漁り、自由に議論した!)。で、劇中にそのレコード店は登場しないのだ。映画のタイトルはキーワードというか「神の宿る細部」。あの時代、あそこにしかなかったものの象徴。
あの時代、あそこにしかなかった青春の輝き。
それが説得力を持つことの不思議を僕は考える。読者の皆さんと同じように、僕は「あの時代」も「あの場所」も体験したわけじゃない。ここが映画のマジックなんだと思う。だって『リコリス・ピザ』はみんなが胸揺さぶられる傑作だ。
『リコリス・ピザ』(C) 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
話は飛ぶようだけど、昔、周防正行監督に映画のマジックについて聞いたことがあるのだ。周防さんは伊丹十三監督の『マルサの女』のメイキング監督を務めながら、情報の取り扱い方について学んだ。映画にリアリティを持たせる「情報の取り扱い方」。周防さんは映画には情報性が不可欠だというのを「テレビの『知ってるつもり!?』みたいな構造」と、当時の人気番組を例に挙げて語った。そう言われてみれば確かに伊丹十三作品は『マルサの女』(87)でも『スーパーの女』(96)でも業界のインサイド情報を示しながら観客を引き込んでいくやり方だ。
「青春を描くのでもディスコとか、いかにもありそうだなっていう世界を描くと、みんなそれは知ってるから『あれは違う』『本当はああじゃない』って怒り出す。でも、大学の相撲部の青春ってことにすると、みんな大学に相撲部があることは知ってるけど、そこがどんな世界か知らないからその細部を情報として紹介しながらフィクションが盛り込める。あぁ、大学の相撲部にだったらそんな青春があるかもしれないなと思わせられる」
周防さんの言っておられたのはこういうことだった。みんなが(何となく知ってるけど)詳しくは知らない場所に説得力を持ったフィクションを咲かせる。
あの時代、大学相撲部にしかなかった青春の輝き。
あの時代、駅前のダンス教室にしかなかった人生のきらめき。
僕は『リコリス・ピザ』の情報の取り扱い方に思いをいたす。その本当のような嘘、嘘のような本当の世界に盛り込んだ青春の輝きに思いをいたす。ネタバレを避けたくてずいぶん迂回した文章になってしまった。僕はこの映画大好きですね。友達にはもう薦めてます。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
『リコリス・ピザ』
2022年7月1日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー!
(C) 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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