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ジャン=ポール・ベルモンド 過剰性の魅力【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.7】

ジャン=ポール・ベルモンド 過剰性の魅力【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.7】

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 ジャン=ポール・ベルモンド傑作選の第3弾が9月2日、新宿武蔵野館を皮切りに始まる。これは当コラムでも取り上げるしかないとフランス語版の『華麗なる大泥棒』(71)の試写用ディスクを取り寄せた。思えばジャン=ポール・ベルモンドが亡くなったのは去年の9月6日だ。早いもので1周忌である。あれから怒涛の傑作選ラッシュが本邦ミニシアターで巻き起こり、『リオの男』(64)『カトマンズの男』(65)等々、娯楽作にもう一度スポットが当てられたのはとてもよかった。


 僕は去年、ベルモンド傑作選を仕掛けた江戸木純さんとシネ・ウインド新潟のアフタートークでご一緒している。江戸木氏とは彼がまだ「江戸木純」(エド・ウッド・ジュニアから取ったという)という筆名を名乗る前からの付き合いだ。かつて僕には2人、強力なブレーンというか「先生」がいて、テレビの先生がナンシー関、映画の先生が江戸木純(正確にはプレ江戸木純?)なのだった。


 新潟では『リオの男』のアフタートークの後、学校町通の大蔵酒店という、酒屋でもあるし居酒屋バーでもあるしクリーニング店でもある(!)、大好きな店にお誘いして久々にじっくり話をうかがった。江戸木氏はサムライだ。面白いと思うものに関してこれほど頑固な人はいない。そして、動くとなったら(あんまりそう見えないのだが)疾風迅速、とことんやる。この人が動かなかったら『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95)も『ロッタちゃん/はじめてのおつかい』(93)も僕らは見れてないと思う。あと『死霊の盆踊り』(65)は闇に埋もれたままだと思う(←それはある意味、それで正しいが)。


 ジャン=ポール・ベルモンド傑作選を仕掛けるにあたって、江戸木氏はとてもまっとうなアプローチをする。ベルモンドの本質は何か? それは娯楽作、もっと言えば痛快娯楽作だ。日本ではゴダール『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』のイメージが強くて、(特に若い映画ファンは)ヌーベルバーグなんだろうと思っている。そもそも芸術は娯楽より上位に位置すると思われている。


 もちろんそんなことはない。というか映画の王道はむしろ娯楽作だ。かつてのフランス映画界でアラン・ドロンと2トップを張ったジャン=ポール・ベルモンドこそ、映画の神に愛された存在、娯楽映画のスーパースターではないか。『勝手にしやがれ』(60)『気狂いピエロ』(65)もいいけれど、本来残るべきは『リオの男』や『華麗なる大泥棒』の方だろう。


 「映画とは、観客が映画館に行って現実を忘れるためにある」(ジャン=ポール・ベルモンド)



『華麗なる大泥棒』THE BURGLARS © 1971, renewed 1999 Sony Pictures Television Distribution (France) SNC. All Rights Reserved.


 では、傑作選3の目玉ともいうべき『華麗なる大泥棒』に話を移そう。これは率直に言ってヤバイ映画だった。日本ではオリジナルフランス語版が1971年に公開され、その後、英語版の吹き替えがテレビの洋画劇場にも掛かったそうだから、僕も10代の頃、テレビで見ていても不思議はないのだが、こんなヤバイ映画は記憶にない。トップシーンから25分、いきなり金庫破りの緊迫したシーンなのだ。ベルモンド率いる怪盗一味が富豪の屋敷を襲う。屋敷に忍び込むときぺらぺらしゃべる怪盗一味はいないからセリフがほとんどない。わかりますか、トップシーンから25分、ほとんどセリフなし。吹き替え版のとき、どうしたんだろうと思う。


 ベルモンド一味は男3、女1の黄金比だ。それを執拗につけまわすザカリア警部(オマー・シャリフ、実は悪いヤツ)は基本、単独行動。そうなのだ、『華麗なる大泥棒』は「実写版ルパン三世」とも言われるオリジンなのだ。ベルモンド映画は『ルパン三世』『コブラ』等のルーツとして知られるが、『華麗なる大泥棒』を見ると、本当に影響を与えてる(というかそっくり)のに驚く。絵の作り方など、随所で既視感にとらわれる。が、もちろんベルモンドが先で「ルパン」が後だ。既視感の順序があべこべ。


 トップシーンの金庫破り25分もそうなのだが、全体に作劇術はどうなってるんだと思うようなトゥーマッチさである。カーチェイスのシーンがあるのだが、いくらなんでも長すぎ、しつこすぎる。こんなにチェイスする必要ある?と笑えてくる。15分あるそうだ。これは英語版では短くなっていて、今回51年ぶりに劇場公開されるフランス語完全版では本来のやり放題になっている。


 江戸木純氏にそのトゥーマッチさについて尋ねると、「見せ場主義」というタームが返ってきた。ベルモント映画の作劇術は全編、見せ場をつないでいくことにあるそうだ。それは作劇術なのか? トップシーンは金庫破り、その後、カーチェイス等々、脈絡なく(というか脈絡はむりやりこしらえて)見せ場から見せ場、更に見せ場とつないでいく。「現実を忘れるため映画館に来た観客」は飽きることがない。ベルモントは大サービスだ。どんなアクションシーンも身体を張って演じ切る。それも撮り直しがきかない種類のものだ。元気いっぱい銀幕で暴れまわるベルモンドに皆、喝采を送る。


 後半、恋敵(こいがたき)との決闘のシーンがあるのだが、先方はたまたま出てきたような人で、物語上の悪役でも何でもないのだが、めっちゃ殴り合うのだ。たまたま出てきた人も大した戦闘力で感心する。カンフー映画くらいのバトルだ。で、ベルモンドにノックアウトされる。ノックアウトされてどうなるって話でもない。ノックアウトされてのびている。それをチラッと映して、映画は次の見せ場へと進んでいく。


 活動的な人物。いつも生き生きして走り回る人物。カーチェイスで逃げ回るのも、恋敵をぶん殴るのも気持ちよさそうな人物。惚れっぽくて、女にからきしだらしない男。その自由な魂。ベルモンド映画に映っているのは要するにそういうものだ。ぜひ1周忌にご覧いただきたい。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido




『華麗なる大泥棒』

提供:キングレコード 配給:エデン

THE BURGLARS © 1971, renewed 1999 Sony Pictures Television Distribution (France) SNC. All Rights Reserved.


「ジャン=ポール・ベルモンド傑作選3」

9/2(金)より新宿武蔵野館ほか全国にてロードショー

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