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一関シネプラザで『オードリー・ヘプバーン』を見た【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.10】

©PictureLux / The Hollywood Archive / Alamy Stock Photo

一関シネプラザで『オードリー・ヘプバーン』を見た【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.10】

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 今回も旅先シリーズだ。一関シネプラザ。岩手県一関市に現在、唯一残っている映画館ということだ。ぼんやりと一関の映画館が火事になった記憶があり、調べてみたら1960年8月の一関日活映画劇場が全焼した火事だった。1960年じゃさすがに覚えてるわけないから勘違いか。つい先月の北九州市・小倉昭和館の焼失を思い出してしまう。街の人々の憩いの場であった映画館が消えてしまうのは残念なことだ。その点、一関シネプラザ(東映専門館「新星」が前身とのこと)は元気に営業していてとてもいい。僕が訪ねたのは8月終わりの日曜日だったが、朝から親子連れがスクリーン1で上映の『ONE PIECE FILM RED』(22)に詰めかけていた。


 一関はジャズ喫茶ベイシーで名高い街だ。CINEMOREのコラムをご覧になるような方なら映画『ジャズ喫茶ベイシー/Swiftyの譚詩(Ballad)』(19)で描かれた店をご存知だろう。ベイシーは目下、休んでおられるようだが、東北の小さな街に文化的拠点というのか桃源郷というのか、夢のような空間がぽんと、当たり前に存在している尊さである。一関シネプラザもそういう場所だ。何しろシネコンじゃない。インデペンデントな映画館だ。若き日の井上ひさしさんがモギリのバイトをしたという伝説まで残っている。


 一関というと書いておきたいネタがもうひとつだけあって、僕は今回、二度目の一関泊だったんだけど、一度目はナンシー関の墓参の帰りだった。ナンシー関は元々、カミさんの友達で、墓参も彼女が言い出した。一周忌とかそういう区切りのやつじゃなしに、ぶらっと遊びにいく感じで墓参りをしようと。実際、カミさんは半分遊びだった。クルマで東京を出て、1か月温泉地を巡りながら青森のナンシーのお墓を目指した。僕は仕事があるからその間、ひとり暮らしだ。墓参は青森で合流した。行きは飛行機、帰りはクルマに乗って2人で帰る。で、帰路、一関に立ち寄ったんだね。市内は看板やなんかに「一関」とやたら書いてある。「一関ラーメン」「一関タクシー」「一関社会保険事務所」etc, 僕らはその文字列の前に「ナンシ」と書き添えたい衝動と闘った。「ナンシ」「一関ラーメン」「ナンシ」「一関タクシー」。あのときは面白かったけど、寂しかった。


 駅前のホテルをチェックアウトして、雨のなか、磐井町の一関シネプラザを目指した。今は住所がわかればスマホが道案内してくれるからいい。住宅地の一角に映画館の建物があった。すぐ向こうは磐井川の土手だ。一関シネプラザは何度か水害に見舞われていたはずだ。ビルは1階を駐車場にして、高床式(?)の2階に映画館が入っている。


 『オードリー・ヘプバーン』(20)を上映したのは小さいほうのスクリーン2(席数84)。朝から20人強は入っていた。今年はTOHOシネマズ上野で『東京2020オリンピック SIDE:A』(22)『同 SIDE:B』(22)を見て、4人、11人というのを経験してるから、大したものだという気がする。『オードリー・ヘプバーン』は名女優の素顔に迫るドキュメンタリーだ。僕は彼女がナチス協力者の娘で、ドイツ占領下のオランダで「エッダ」というドイツ名を名乗っていたのを知る。父親との縁は薄かった。僕らはしばしば肉親の愛情に飢えた子が素晴らしいスター性を発揮するケースを見る。活躍して、輝いている自分の姿を(遠くにいる)親に見てもらいたいのだ。


 本当はバレリーナ志望だったらしい。が、ウィリアム・ワイラーの引き立てで『ローマの休日』(53)に出演し、スター女優になる。その後の彼女のキャリアは映画ファンならご存知かと思う。マスコミ嫌いで知られ、私生活は(あれだけの名女優のわりには)ヴェールに包まれていた。



『オードリー・ヘプバーン』©Sean Hepburn Ferrer


 その一端が明かされていくのだが、僕がいちばん面白いと思ったところを言うと、後半生、映画から離れ、身を隠すように暮らしていた頃の述懐だ。オファーは依然殺到し、皆、キャリアを棒に振るのはもったいないと嘆いた。その美貌を惜しんだ。で、その美貌にオードリー自身が言及したのだ。僕らはオードリー・ヘプバーン級の美人がその美貌について言及するのをあまり見かけない。


「自分では見えませんし」


 そうオードリーは言ったのだ。これは唸った。人生のプライオリティーではそんなことは二の次、三の次なのだ。そうか、自分が美人の人は自分の美人を自分では見られない(!)。僕は以前、自動車雑誌の仕事でケータハム・スーパーセブンを借り受け、運転したことを思い出す。クルマ好き垂涎のクラシカルなスポーツカーだ。運転者は革のパイロット帽とゴーグルを装着する。これはカッコいいぞと興奮した。が、実際にステアリングを握って高速道を走らせてみると、風圧で体力は削られるし、サスが硬くて腰に響くし、なかなかきつい乗り物だった。で、気づいたのだ。スポーツカーは社会的な存在だ。他人の目には風を切って爽やかに見えるが、その内実は汗や排気ガスでベタベタだ。他人の目のなかに生きる存在なのだ。他人の目のなかにカッコよく、爽やかに映る。オードリーの言う通りだ。自分では見えませんし。


 オードリーは晩年、ユニセフの活動に邁進し、自分の美貌や名声を世のために役立てようとする。まさに社会的存在として立とうとする。それは第二次大戦の渦中を生き抜いたオードリー自身の体験とリンクしている。


※まったくの余談だが、オードリーの姓「ヘプバーン」は江戸末期~明治初期の日本では「ヘボン」と表記されたそうだ。ローマ字の表記法として現在も名称が残る「ヘボン式」の、ジェームス・カーティス・ヘボン(横浜でヘボン塾を開き、世界初の本格的和英辞典『和英語林集成』を編纂)という人がいる。ローマ字表記が「ヘプバーン式」であったり、名女優が「オードリー・ヘボン」だったりするとだいぶ印象が変わるのだ。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido




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『オードリー・ヘプバーン』全国公開中

配給:STAR CHANNEL MOVIES 

©️2020 Salon Audrey Limited. ALL RIGHTS RESERVED.

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©Sean Hepburn Ferrer

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