映画を象徴するキラーショット
Q:この映画を象徴するのが、議場の県知事席に置かれる水差しの映像です。僕は勝手に「キラーショット」と呼んでいますが、面白いドキュメンタリーには必ず核になる「キラーショット」があります。あの水差しがまさにそうだなと。水差しには茶色い液体が入っていましたが、あれは何ですか?
五百旗頭:お茶ですね。お茶に氷が入っているんです。それで水差しについた水滴を職員が丁寧に拭き取る。「世界にこれ以上無駄なことってあるんだろうか?」というシーン(笑)。あの映像は去年の春の県議会で偶然撮れたものだったんです。カメラマンが議会の開会時間より早く現場に着いて、議場の様子を撮っていたんです。そうしたら、あんなことが行われていた。後で僕が映像を見たら「これはすごい!この映像にはいろんなものが詰まっているぞ」と思いました。だから、それ以降の水差しのシーンは全部狙って撮っています。終盤では知事が交代しても結局本質は変わらない、という象徴にもなりました。
Q:最初あの水差しを見たときは、中の氷がラッキョウのように見えて、何か特殊な漢方の薬なのかと思ってしまいました(笑)。
五百旗頭:そうやっていろいろ考えさせるところがいいですよね。あれだけの長期県政だから、見ている人はつい勘ぐってしまうということだと思います。
『裸のムラ』(C)石川テレビ放送
Q:私が制作者の目線ですごく面白かったのは、「やらせ」と「演出」の議論を被写体とするシーンです。あれはテレビの制作者同士でよくされる議論ですが、被写体とするのは初めて見ました。
五百旗頭:あれは相手からいきなり問いかけられたので、びっくりしながら撮ったんです。その時は全然使う気はありませんでした。撮影を終えて会社で映像を見ていたら、報道部の女性スタッフがやってきて一緒に見始めたんです。「これ面白いですか?」って聞いたら「めっちゃ面白いです」っていうから、「あ、これは面白いシーンなんだ」と気づいて映画に活かしました。
Q:あの瞬間から、観客は撮影者の五百旗頭さんも意識するようになります。主に3つの被写体がいますが、そこに撮影者の存在も加わって構造がどんどん複雑化していくのが面白かったです。
五百旗頭:あの後のシーンで、すごく綺麗な夕焼けをバックにしたインタビューがありますが、あれは、その前の「やらせ」に関する議論を見せていなければ、単なる綺麗な夕景なんです。あえて演出の種明かしをした上で、綺麗なシーンを見せることによって、観客を揺さぶりたいと思いました。
Q:撮影は基本的にカメラマンと一緒に行っているんでしょうか?
五百旗頭:そうですね。
Q:自分のカメラで撮りたい監督もいますが、五百旗頭さんはプロに任せるスタイルなのでしょうか?
五百旗頭:僕も現場で色々観察しなければならないし、できればカメラマンに撮ってもらいたいですね。もちろんカメラを通して観察できることもありますが、カメラマンが撮っている被写体を見つつ、周囲も見ながら、他に何か撮るべきものはないかを考えなければならないんです。
あとは腕のあるカメラマンにきっちり撮ってもらった映像の強さですね。最近は「ディレクターのデジで事足りる」という風潮がありますが、僕はそれが大嫌いなんです。別にENG(プロ用の大型カメラ)である必要はないですが、やはりカメラマンが撮ったからこその映像の強さはある。それが軽視されていると思います。「小さなデジで撮った方が勢いが出る」とか、「被写体に近づける」という発想は安直ですね。僕はカメラマンの技術と、自分の発想を絡ませた共同作業で生み出される作品の方が、パワーがあると思っています。