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『そして僕は途方に暮れる』三浦大輔監督 映画を"映画として包む"【Director’s Interview Vol.274】

『そして僕は途方に暮れる』三浦大輔監督 映画を"映画として包む"【Director’s Interview Vol.274】

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映画を”映画として包む”



Q:裕一は罪を犯したり事件に巻き込まれたりしているわけではなく、ただ個人的な都合だけで逃げていますが、それでも物語のカタルシスは出てきている。何か気をつけたところはありますか?


三浦:先ほどと重複しますが、裕一はあくまで普通の人間にしたかった。だから逃げる動機としては、観客が納得して共感できるものにする必要があった。誰でも一歩間違えればこういう事態に陥る可能性はあるよと、日常と地続きの物語としてリアリティを醸したかったんです。


物語が突飛で共感性が無いと、ただ傍観する感じになってしまいますが、今回は日常にありそうなことの連続なので、そこがエンターテインメントとして見やすいのだと思います。



『そして僕は途方に暮れる』©2022映画『そして僕は途方に暮れる』製作委員会


Q:見せ方として、シネスコにこだわったと伺いました。


三浦:この物語は日常の些細なことの連続なので、映画的ではないと捉えられる可能性もある。だからあえてしっかりと映画的に撮ることが歪で面白いんじゃないかなと。ドキュメンタリーっぽく生々しく撮る方法もあったかもしれませんが、映画的にきちんと撮りきることで、主題とのギャップが出て新しいものになる予感がしたんです。


映画の主人公っぽくない人間が最後は映画の主人公に見える。ラストシーンでシネスコの画の中で振り返る裕一の姿が浮かんだので、そこは仕掛けとしてもシネスコが必要でした。また撮影的には、物語後半の北海道ではシネスコを生かした画が撮れたのですが、前半の部屋のシーンは狭い画になるので結構大変でした。


Q:裕一が映研出身だったり、映画館のエピソードが出てきたりと、“映画”というものが有効なツールとして使用され、この映画のメタ構造としても及んできます。


三浦:映画を映画として包むとでもいいましょうか。それが一つの仕掛けとして最後に向かっていく。裕一は映画の主人公っぽくない人物であるがゆえに、最後に真の映画の主人公になる。そういう流れも含めて逆算して作った部分があります。後輩が裕一に対して「先輩の存在自体が映画ですよ!」というセリフもありますが、そこも同じ感覚ですね。




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