舞台を映画に変換すること
Q:時間の感覚を感じさせるツールとしてテレビのバラエティ番組が登場します。加えて、登場人物たちの番組に対する私見も出てきますが、その辺に込めた意図があれば教えてください。
三浦:テレビのバラエティ番組は週単位で放送されるので時間経過を表しやすかった。また、裕一は映画好きだったのに、今は映画を観ずにテレビの前に居座っている。その状況が堕落感につながればいいなと。それでテレビを象徴的に使いました。だから必然性があってのバラエティ番組なんです。そこにはこだわりましたね。
Q:テレビやスマホなど舞台で使うのには難しそうなツールが有効的に使われています。その辺は意識的にやっているのでしょうか。
三浦:そうですね。舞台でもスマホの画面を舞台上に投影して画面の中身がわかるようにしていたので、それは今回の映画では自然に出来たという感じです。それより、役者の表情をしっかり見せられたことが舞台との大きな違いかもしれません。表情で表現できるところは、言葉ではなくなるべくその人の表情を捉えたい。舞台では顔があまり見えないので言葉で伝えるところが多いんです。
『そして僕は途方に暮れる』©2022映画『そして僕は途方に暮れる』製作委員会
Q:舞台から映画になる際に脚本は調整されると思いますが、具体的にどのように変わっていくのでしょう。
三浦:そこは難しい部分ですね。舞台でやったものが頭から離れないので、精査して書き直してもどうしてもセリフが多くなっちゃうんです。そこからはセリフを削っていく作業が主になります。例えばこのシーンでは、役者の顔を撮ればセリフがなくても意味は伝わるなとか、映像的なアイデアに変換していく。ただ、舞台作品としての原作の良さもあるので、そこは削らないように気をつけなければいけない。取捨選択は慎重になりますね。
それでも映画にすると都合が良すぎるところもあるんです。特に人と出くわすシーンとか(笑)。その辺は演劇的な要素が残っているかもしれません。