脚本に反映された震災の余波
白石:『渇水』の初稿の手応えはいかがでしたか?
髙橋:僕は割と好きな脚本でしたね。2011年の震災後に脚本として形になったのですが、及川さんと方向性を決めたのは、震災前の2月頃でした。僕と及川さんの中では、当初から貧困やネグレクトなどの社会問題を含むものを考えていましたが、震災の余波もあって、震災後の人々の暮らしや不安にも影響された内容となりました。どちらかというと、内容的には暗く、陰に入るような物語に気持ちが傾いていたと思います。
白石:『渇水』でも、“日照り”という人間の力ではどうしようも出来ない事象があり、自然の力の中で人間の小ささを知るところがある。震災直後はそれを考えざるを得ない状況だったと思いますが、及川さんと髙橋監督の中でもそことリンクする部分はあったのでしょうか。
髙橋:東日本大震災では原発も含めていろんな被害が発生し、それでもそこで生きていかなければならない人や、その場所から離れざるをえなくなった人など、いろんな境遇の方々が存在しました。そのことは、『渇水』に出てくる弱者の方々に反映され、物語に落とし込まれていったと思います。
『渇水』©2022「渇水」製作委員会
白石:僕が脚本を読んだのは3〜4年前だったと思いますが、そのときの稿は初稿とは変わっていたのでしょうか。
髙橋:基本的な構成は変わっていませんが、終わり方は初稿とは変えていました。いちばん変わったのは、木田という役を厚くした部分です。岩切と木田という、生田さんと磯村さんの組合せは、初稿では岩切が一人で動いて木田は所々しか現れない状態でした。
白石:そのあたりが変わった理由は、映画化の話の状況によってですか?
髙橋:そうですね。当時は「バディもの」と呼ばれる映画やドラマが多くなってきた時期だったこともあり、岩切単独だと映画化しづらいかも…ということになった。それでもう一人カタチになる役を作って、二人で合わせて動かそうとしたんです。