流行りの言葉は使わない
Q:ご自身の脚本を演じてもらうにあたり、役者さんへはどう演出されているのでしょうか?
荒井:そんなに長く話し込むようなことはしていませんけどね。だから出来上がったのを観て、「何も言ってないのに、よくぞこっちが望んだ通りの動き方するな」と。特にさとうほなみなんかはそうでしたよ。でも湯布院で話したら「ちゃんと(指示は)言ってましたよ」って言われたけど(笑)。
Q:さとうさんのセリフをはじめ、若い年代のセリフはどのようにして書かれるのでしょうか。年代の違う人のセリフを書くのは難しくないですか。
荒井:今の若い人のセリフは書けませんよ。だけどこの映画は(設定的に)ちょっと前の話だから、誤魔化せているんじゃないかな。澤井信一郎って『Wの悲劇』の監督が、「俺は古いって言われるけど、それでいいんだ。今の流行り言葉は絶対映画で使うなよ。そしたら映画がすぐ古びるから。古いのはこれ以上古くはならないから大丈夫なんだ」って言っていましたね。なるべく普通のセリフでいいんだと。今っぽさを狙って若者言葉を使おうとしても分かんないしね。
『花腐し』©2023「花腐し」製作委員会
Q:栩谷と伊関は映画作りをしている人間ですが、映画に対するご自身の思いも脚本に入れ込みましたか。
荒井:そうですね。原作とは関係無いんだけど、映画で設定した時代はピンク映画の上映館が潰れて、35(mmフィルム)からデジタルへっていう、ピンク映画の終焉みたいな時期。ピンク映画に対する鎮魂歌みたいなものと、ある一人の女への鎮魂歌をダブらせようかなと思いました。
Q:伊関がシナリオが書けず「結局、書きたいものは無かったんだ」とポロっと言うシーンが好きでした。
荒井:あれは俺の本音ですね。湯布院映画祭でそのシーンを観た娘に「お父さんは何者かになれたし、父親にもなれたじゃない。私は母親にはなれたよ」って言われて、ちょっとうるっときましたね…。