なぜモノクロだったのか
Q:モノクロでの撮影はどのタイミングで決められたのでしょうか。
吉田:結構早かったかもしれません。脚本を書いている途中くらいだったかな。今回は日本家屋を撮るというテーマがあったので、参考に色んな映画を観たのですが、必然的に古いモノクロの日本映画が多くなってしまう。それらを観ているうちに影響されたのだと思います。
今回の映画は「どう売るか」はあまり考えず、まずは「作りたいものを作ろう」とプロデューサーと話して始まりました。だからモノクロで撮ると言っても誰も反対しなかった。「本当にモノクロで大丈夫?」と重ねて聞いても、周りは「いいんじゃないですか」と。最後は自分だけで決めるのがちょっと不安になり、撮影の四宮さんに「僕はモノクロが良いと思うのですが、もし四宮さんがカラーが良いと仰るのであれば、それでもいいと思います」と相談しました。その後、四宮さんが1週間くらい考えてくださって、最終的にモノクロで撮ることになりました。
『敵』ⓒ1998 筒井康隆/新潮社 ⓒ2023 TEKINOMIKATA
Q:撮影の四宮秀俊さんとは初タッグかと思いますが、スタッフィングの経緯を教えてください。
吉田:四宮さんは優れた作品をたくさん撮られていて、いつかご一緒したいカメラマンの1人でした。助監督とスタッフィングの相談をしているときに、彼から四宮さんの名前が出たんです。僕は四宮さんとはほぼ面識がなかったので「じゃあ、お願いしてもらえるかな?」と。
撮影に関しては、それまでどんな作品を撮られていたかということも一応気にはしますが、自分の中に撮りたいルックがあって、それを実現してくれる人を探すということはしません。むしろ、その人に入ってもらって、自分自身では想像できなかったところに連れていってもらいたい。そういう意味では、四宮さんとこれまで仕事をしたことがなかったのが、今回お願いした大きな理由かもしれません。