
『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』真利子哲也監督 ×『ひゃくえむ。』岩井澤健治監督 インディーズから新たな挑戦へ【Director’s Interview Vol.518】
長編と短編、それぞれの思い
Q:お互いの新作『Dear Stranger /ディア・ストレンジャー』と『ひゃくえむ。』について、感想をお聞かせください。
岩井澤:『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』は、真利子監督が次のステージに行った感じがして羨ましかったです。結構チャレンジングな企画なので、いろいろと苦労されたと思いますが、こういう作品を作れること自体が羨ましい。アニメーションの場合は、自分のやりたい企画を実現させることが本当に難しく、実写よりも予算や時間が掛かるので、本当にやりたいものはなかなか出来なかったりするんです。自分のデビュー作『音楽』は自主制作ですが、何者でもない自分が最初に作るためには、自主制作の道しかなかったですね。
真利子:『音楽』を長編尺で作るのには覚悟みたいなところがあったんですか? すみません。『ひゃくえむ。』じゃなくて『音楽』の話になっちゃって(笑)。
岩井澤:自主制作の長編アニメって珍しいから、作れば劇場公開は出来るだろうと。中身は関係なく、珍しいから多分上映してもらえると思ったので、「まぁじゃあ作るか」って感じで(笑)。自分の作品が映画館で公開することに憧れがあったし、とりあえず作ったら劇場公開できるというのはモチベーションになりますから。
真利子:短編を作ることと長編を作ることって、労力が全然違いますが、アプローチの仕方も違うんですよね。
岩井澤:そうですね。短編アニメって、とりあえずやろうと思えば勢いでできてしまう。美大の卒業制作で短編アニメを作ってそれが話題になることもよくあります。アニメを作っている人たちは、映画に対しての憧れはあまりないかもしれないので、長編をやろうという人がなかなかいない。PFFに出しているような実写の人たちは、映画監督として長編を作りたいというモチベーションがあった上で、まず短編から、ということだと思いますが、短編アニメを作っている人たちは、その先に長編があるという意識があまりない。だから自主制作アニメで長編を作る人は圧倒的に少ないですね。
『ひゃくえむ。』岩井澤健治監督
真利子:短編と長編の違いを陸上に例えて言うことがありますよね。短編は100m走、長編はマラソン、みたいな気持ちというか、そういう使う筋肉の違いみたいなのはありますか。
岩井澤:本来はあるものなのでしょうが、自分は短編を作るときもかなり映画を意識していました。
真利子:あぁ、じゃあ同じペースで走るっていう。
岩井澤:そうですね。やろうと思えば長編でもできるものを、ギュッと詰めて短編としてやっている感覚です。長編を作るのであれば実写じゃなきゃ、という意識はずっとあったのですが、短編アニメでそこそこ評価してもらえたので、まぁアニメで長編やった方がいいだろうと。あくまでも自分の作品が映画館で公開されることが、最初のモチベーションでした。真利子監督はどうだったんですか? 最初の長編は『イエローキッド』(09)ですかね?
真利子:初めはそうです。『イエローキッド』は東京藝大の修了制作で作った、いわゆる学生映画でした。ユーロスペースで2回上映されるので、その劇場に来る方たち、映画関係者や映画好きな人たちの100人+100人の200人くらいを想定して、「こういうふうに表現すれば面白がってくれるのかな」と、学生なりに人に観せることを考えながら作った気がします。そこで堀越謙三さんが劇場公開のために動いてくれることになりました。
自分の前の年の修了制作で濱口竜介監督が『PASSION』(08)という長編を作っていて、それが素晴らしかったんです。それで『イエローキッド』に取り掛かる前に濱口さんからもいろいろと現場の話を聞いて、『PASSION』と同じことはできないので、また違った考え方で長編をやってみようという思いもありました。
岩井澤:そういった真利子監督の動きは把握していて、今泉力哉監督など同世代が長編を作ってどんどんデビューしていくのを傍から見ていました。自分も元々実写からキャリアをスタートして、スタッフをやったりしながら、実写で映画監督になれたら…と思っていました。