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『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』バベルの塔をモチーフにした、非暴力的バイオレンス映画

©Roji Films, TOEI COMPANY, LTD.

『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』バベルの塔をモチーフにした、非暴力的バイオレンス映画

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『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』あらすじ

ニューヨークで暮らす日本人の賢治と、中華系アメリカ人の妻ジェーンは、仕事や育児、介護と日常に追われ、余裕のない日々を過ごしていた。ある日、幼い息子が誘拐され、殺人事件へと発展する。悲劇に翻弄される中で、口に出さずにいたお互いの本音や秘密が露呈し、夫婦間の溝が深まっていく。ふたりが目指していたはずの“幸せな家族”は再生できるのか?


Index


身体的衝突から心理的・言語的断絶へ



 殴る。蹴る。殴る。蹴る。真利子哲也監督の代表作『ディストラクション・ベイビーズ』(16)の主人公・泰良(柳楽優弥)は、理由もなく無軌道に暴力を繰り返す。人間関係の軋轢がある訳でも社会的な不満がある訳でもなく、そこに論理的な説明は何も存在しない。ただ「殴りたいから殴る」という、衝動そのものの連鎖がある。


 彼の内面には、ぽっかりと空いた空洞のようなものが横たわっていて、その空虚さを埋める手段として、他者を痛めつける行為を選んでいるかのようだ。泰良というキャラクターは、暴力を通してしか“生”を感じることができない、極めて不穏な存在なのである。


 続く『宮本から君へ』(19)では、主人公・宮本(池松壮亮)が理不尽な状況を突破するために、拳を振るう。愛する者を守るために、自らの身体を犠牲にしてでも戦う姿は胸アツだ。しかしそれは、決して英雄的な正義ではない。歯が折れ、血にまみれ、全身が傷だらけになりながら突き進む宮本の姿は、むしろ人間の無力さや不完全さをさらけ出している。


 暴力は彼を勝利に導く手段ではなく、むしろ矛盾と限界をあらわにする表現装置として機能している。真利子監督はこの作品でも、人間が抱える根源的な衝動と、社会構造に内在する歪みを、フィジカルな衝突を通じて可視化してみせた。しかし6年ぶりの新作『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』(25)では、その様相が大きく変化している。ある格闘シーンが中盤でインサートされているものの、これまでのようなあからさまな暴力は描かれない。



『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』©Roji Films, TOEI COMPANY, LTD.


 舞台はニューヨーク。大学で建築学を教える日本人の夫・賢治(西島秀俊)と、台湾系アメリカ人の妻・ジェーン(グイ・ルンメイ)が、ひとり息子の失踪をきっかけに、夫婦関係の緊張が高まっていく物語。ここには肉体的な暴力の表現はない。それでも作品を見続けていくと、これもまたバイオレンスを主題に据えた映画であることに気づく。


 なぜなら、本作が描くのは身体的な暴力の不在ではなく、その拡張だからだ。真利子監督が提示するのは、心理的な断絶や言語的なすれ違いといった、より不可視の暴力。夫婦は互いに母語ではない英語を介してコミュニケーションを取っている。その不自由さは、誤解や抑圧を生み出し、次第に関係に深い亀裂を刻んでいく。2人が喧嘩をしているとき、夫は日本語で不満をいい、妻は中国語でまくしたてているのは、非常に象徴的だ。


 言葉が届かないことで生じる摩擦や沈黙は、殴り合いよりも目に見えにくい。しかしその影響は、時に拳よりも残酷で、相手の存在そのものを削り取っていく。真利子監督の暴力表現は、「身体的衝突から心理的・言語的断絶へ」というダイナミックな変換を遂げている。


 プロダクションノートによれば、真利子監督がハーバード大学の客員研究員としてボストンに滞在中、「日本から離れた生活の中で、自分のアイデンティティの曖昧さや、新たなコミュニティに溶け込むことの難しさを感じながら、それまでごく当たり前にあった人間関係の複雑さを意識するようになった」ことが、制作のきっかけになったのだという。


 監督自身の経験が、非物理的な暴力映画としての『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』を生み出したのだ。





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