2025.09.17
『ドライブ・マイ・カー』との共鳴
映画の序盤、賢治は大学の講義で「バベルの塔」の逸話を語っている。人類は天にも届くほどの高い塔を建て、神に挑戦した。しかし神はその暴挙に烈火の如く怒り、言語を分断してしまう。互いに通じ合わない言葉の壁が築かれ、人類は分断された──。ここで提示されるのは、言語不一致によるコミュニケーション不全というテーマ。『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』の物語は、その寓話を現代に引き寄せるかのように展開していく。
このテーマを扱った映画は、これまでも意欲的に作られてきた。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『バベル』(06)は、そのタイトル通り、異なる国・文化・言語を生きる人々のエピソードを連鎖的に交錯させることで、摩擦と誤解を可視化した。ソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』(03)は、異国の東京を舞台に、文化的・言語的な隔たりを抱えながら孤独を共有する男女の交流を描いた。
第74回カンヌ国際映画祭で脚本賞ほか4冠を獲得し、世界的に評価を得た濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(21)も、同様の主題を有している。日本語、中国語、韓国語、英語、そして手話が入り混じるなかで、登場人物たちの意思疎通は常に一方通行に近い。多言語の併存は、コミュニケーションの無効性や断絶を浮き彫りにし、映画そのものを「言葉の壁」の縮図にしている。
『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』©Roji Films, TOEI COMPANY, LTD.
『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』は、主演が同じ西島秀俊であることも含め、『ドライブ・マイ・カー』との構造的な類似性が目立つ。英語・日本語・中国語、さらには手話が錯綜し、夫婦の間には精神的な空白が横たわる。主人公が常に車で移動する点も共通しており、両作を比較する視点は観客に自然と芽生えるだろう。
音楽面でも、濱口作品で石橋英子が奏でたミニマルかつ不穏な響きと、本作でジム・オルークが描き出す音響風景はどこか呼応している。石橋とオルークはかつて共演経験もあり、その系譜を知る観客には音楽的な連続性すら感じられるはずだ。
もっとも、本作には『ドライブ・マイ・カー』とは異なる鮮烈な個性がある。それが、妻ジェーンがアートディレクターを務める人形劇というモチーフ。言葉が届かない場所で、人形が代弁するかのように感情を演じ、沈黙を視覚化する。この人形劇の存在によって、作品は単なる言葉の不一致を超えた地平に到達している。