『湯を沸かすほどの熱い愛』(16)『浅田家!』(20)の中野量太監督待望の新作は、作家・村井理子が実際に体験したノンフィクションエッセイ「兄の終い」の映画化。兄の急死によりバラバラになった家族が集結、死後の後片付けをする数日間の物語。多くの人が経験するであろう普遍的なエピソードが、なぜこんなにも面白い映画になりうるのか。本作を手がけた中野監督に話を伺った。
『兄を持ち運べるサイズに』あらすじ
作家の理子(柴咲コウ)は、突如警察から、兄(オダギリジョー)の急死を知らされる。兄が住んでいた東北へと向かいながら、理子は兄との苦い思い出を振り返っていた。警察署で7年ぶりに兄の元妻・加奈子(満島ひかり)と娘の満里奈(青山姫乃)、一時的に児童相談所に保護されている良一(味元耀大)と再会、兄を荼毘に付す。そして、兄たちが住んでいたゴミ屋敷と化しているアパートを片付けていた3人が目にしたのは、壁に貼られた家族写真の数々。子供時代の兄と理子が写ったもの、兄・加奈子・満里奈・良一が作った家族のもの・・・兄の後始末をしながら悪口を言いつづける理子に、同じように迷惑をかけられたはずの加奈子はぽつりと言う。「もしかしたら、理子ちゃんには、あの人の知らないところがあるのかな」兄の知らなかった事実に触れ、怒り、笑って、少し泣いた、もう一度、家族を想いなおす、4人のてんてこまいな4日間が始まったー。
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人の愛しさや滑稽さを描く
Q:本作はどのような経緯で監督することになったのでしょうか。
中野:最初はあるプロデューサーから連絡が来て、「ちょっと相談したい本がある」と原作本を渡されたのが最初でした。その時は『浅田家!』の後だったこともあり、次はオリジナルをやりたかったのですが、読んでみたらこれが面白くて。僕がこれまで撮ってきた「人の死後、残された人たちはどう生きるか」というテーマがちゃんと入っていて、題材は暗いのに笑っちゃうし、出てくる人は愛おしい。これはやってみたいなと。
Q:映像化できると思ったのはどんな点でしたか。
中野:原作はそこまで派手な話ではないんです。だから最初は、どのようにしたら成立するかなと思っていました。兄が亡くなっているということは、要するに兄はもう出てこない。では一体これをどうすればいいのか。主人公である村井さんは作家なので、後でエッセイとして書くつもりで写真をたくさん撮って、当時のことを記録していたそうなんです。それを聞いて、「あ、なるほど!」と。主人公が作家ということは、作家の頭に浮かんだ兄が表に出てくるという方法が可能になる。それはとても映像的だしエンタメ性も強い。これは勝算があるんじゃないかと。もしその方法以外で兄を登場させるには、回想シーンにするか幽霊として出すしかなく、それはどちらもやりたくなかった。作家の頭の中に浮かんだものを出そうと決めてからは、「これはいける!」とエンジンが掛かった感じでした。

『兄を持ち運べるサイズに』©2025「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会
Q:脚本化の際に、原作の村井さんからリクエストはありましたか。
中野:村井さんにはすぐ会いに行っていろいろとお話を伺いました。「自由にやっていい」と言っていただきつつ、「原作の持っている可笑しさみたいなものは入れてほしい」と言われました。
Q:コメディ要素は原作者の意図でもありつつ、監督にとってもポイントだったのでしょうか。
中野:僕はコメディという言い方はせずに、“喜劇”と言っています。僕は今村学校出身で(今村昌平監督創立の日本映画学校)、今村さんの“重喜劇”という言葉が大好き。重い題材だとしても、人は一生懸命になればなるほど滑稽に見えてくる。それこそが本当の笑いだと思います。この映画でも、みんなが一生懸命やっていることが可笑しくて愛おしくなってくる。そこの部分は絶対に大切にしたいなと。もしこの題材でただただ深刻にやるのであれば、他の監督がやればいい。どんなに重い題材でも、人間の愛しさや滑稽さを中心に描くのが僕のスタイル。それは最初から決めていました。