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『Love Letter』岩井俊二監督×『東京日和』竹中直人監督 90年代、日本映画、そして中山美穂【Director’s Interview Vol.530】

『Love Letter』岩井俊二監督×『東京日和』竹中直人監督 90年代、日本映画、そして中山美穂【Director’s Interview Vol.530】

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フィルム撮影が残したもの



Q:90年代に作られた映画には、当時のフィルムの特性なのか、そのとき流行しているライティングやフィルターなのか、似たような空気を感じることもあります。それぞれの撮影監督である篠田昇氏と佐々木原保志氏とはどんな話をされていたのでしょうか。


竹中:石井隆監督のデビュー作『天使のはらわた 赤い眩暈』(88)に出演させていただいた時、カメラマンが佐々木原保志さんでした。そのときの佐々木原さんがとても優しくてね、いかにも映画屋!って感じで、もう絶対に佐々木原さんとやりたいと思っていました。『無能の人』からずっと一緒にやっています。僕は基本的にフィックスの画が好きなので、移動ショットは少ないです。『東京日和』では色を際立たせたかったので、今までの監督映画とは違う色合いで『東京日和』は撮影しました。衣装は絶対に、北村道子さんにやってもらいたくて北村さんにお願いしました。そして北村さんにそういう話をしたのです。でも北村さんは完成した映画を観て、「モノクロ撮影って竹中、言ってたじゃない」って言うんです(笑)。なぜだろう…(笑)。ラストは絶対にスローモーションで撮影したいと思っていました。竹中組、初のスロー撮影です。あと『東京日和』は、セット撮影ができたこともめちゃくちゃ嬉しかったですね!荒木さんの家のベランダをそのまま日活撮影所に作ることができたんです!美術の中澤克己さんが頑張ってくれました。3本目にして一番予算が多かった。自分が初めて監督した『無能の人』のときも日活撮影所にセットを作ることができました。そして2本目の『119』のときは松竹の大船撮影所にセットを作れました。90年代は本当に夢を見ているようでしたね。


僕たちの時代はフィルム撮影だから、現像が上がるまでどんな仕上がりになっているか全くわからないんです。僕は現場でモニターもつけないし。やっぱりカメラの横で俳優のお芝居を見つめていたいですからね。だから現像が上がるまでもうハラハラドキドキでどんな風に映っているのか、もう胃が痛くなるほどでした。特にクレーン撮影なんて現場ではモニターがないですからイメージでしかない。クレーン撮影しながら佐々木原さんが「結構上がってますよ」と言ってくれて、「よし!」なんて思って後でラッシュを見ると自分のイメージしたほど俯瞰の画が撮れてなくて、「佐々木原さん全然上がってないじゃないですか!俺はもっともっと上がってるイメージでした…」ってむきになったりしてね(笑)。今思うと楽しい思い出です。



『東京日和 デジタルリマスター』©フジテレビジョン/バーニングプロダクション


岩井:篠田さんはすごく独特な人でね。現場のムードメーカー的な存在でもあったし、本当にいろんな思い出があります。技術面ではすごくマニアックな人で、現像もいろいろと工夫してやっていました。増感したり減感したりしてね。『Love Letter』はシネスコでしたが、それも篠田さんがどうしてもやりたいと言ったから。篠田さんって絶対フィックスで撮ってくれないんですよ。なんか必ず動いていて、「ここはフィックスでお願いします!」と言っても動くんですよね(笑)。とあるミュージックビデオの撮影の時に、「ここは花火を合成するショットなので、三脚で微動だにしない状態で撮ってもらわないとダメですからね」と伝えると、「大丈夫です」と言ってくれたのに、何故かクレーンを持ってくるんですよ(笑)。篠田さんは「固定するので大丈夫です」と言うのですが、だったら三脚でいいじゃんって話なんですけどね(笑)。クレーンのアームを何かで固定して準備しているのですが、いざ本番が始まったらその固定しているやつがないんです。結局動いてるんです。そのくらい動いてないと嫌な人でしたね。そこはもうコントロールできませんでした。しかも昔はフォーカスがすごくシビア。今のフォーカスマンはモニターの画を見ながら合わせていますが、当時はカメラと被写体の距離をメジャーで測って合わせるしかない。あとはもう感覚でやるしかないのですが、篠田さんのカメラは動くから、どこに合わせて良いかわからなくなるわけです。相当慣れた人だったら感覚でわかるんでしょうけど、経験の少ない若いフォーカスマンたちは常に苦戦していましたね。


篠田さんは今で言うところの解像度の問題を当時から言っていて、最初は「何のことを言ってんだろう?」と、誰もわかっていませんでした。でもそのおかげで、シネスコで撮っていたものをネガまで戻って今回4Kリマスターにすることができた。当時テレビ局の人たちは「フィルムで撮ると視聴率が落ちる」みたいなことを言っていて、なかなかフィルムで撮らせてもらえない時代でしたね。しかもビデオはSDの時代。640×480のサイズだったので、今パソコンで見るとこんなに小っちゃくなってしまう。それで全員が良いと思っていた時代でした。今回4Kリマスターを作ることができたのも、当時の時代に抗ってフィルムのネガを残していたからこそ。篠田さんはそこをちゃんと見てくれていたんだなと。


竹中:昔はシネスコって嫌われたんですよね。


岩井:横が映り過ぎるから、美術セットを余計に作んなきゃいけないと、脅されていました。


竹中:そう。だからもう決め事としてビスタというのが最初からあったんです。


岩井:シネスコはもう古いとかね。寅さんぐらいでしか使われてないんだって、揶揄されていました。


竹中:最近やっとシネマスコープに目覚めたんです!シネスコの方が圧倒的に画作りが面白いんです!なぜ今までシネスコで撮らなかったんだ…。って思いました。ビスタサイズにはビスタサイズの良さがあるのかもしれませんが過去の作品をシネスコで撮り直したい気持ちになりました(笑)。最新作『零落』(23)以降はシネスコサイズで撮影しています。


岩井:ビスタサイズだとフィルムの面積を全部使わないから、「せっかくこれだけの面積があるのに、全部使わないともったいない!」と篠田さんがすごく怒っていましたね。僕も最初はよくわからずに頷いてましたけど。また、シネスコで撮影するとアナモフィックレンズだから、後ろのボケがちょっと縦に伸びるんですよね。当時4:3の仕上がりのCMでも、篠田さんはシネスコで撮ってましたから。これでボケが全然違うと。


竹中:篠田さんっていつもニコニコしていて、優しくて、明るくて元気で、ツヤッツヤな感じでしたものね(笑)。大好きなカメラマンでした。


岩井:そうなんですよね。全然神経質じゃなくて、すごくハッピーな人。そこは雑と言えば雑で(笑)、あれで神経質だったら精神破綻起こすと思うのですが、そこの神経質感はあんまり無いんですよ。だから撮影でやり遂げきれなくても、終わってしまえばハッピーな顔をしている。だけど終わるまではしつこいんです。コンテにある何個かのショットがあって、時間が無くなったから「じゃあこれとこれは欠番でいいです」と言うと、「いや、監督これ撮った方がいいっすよ」と言ってくる(笑)。「多分編集で使わないと思います」と言っても、「いやこれね、撮っといた方がいいですよ」って。それで同世代の照明さんに篠田さんが怒られるんです、「もう時間だって言ってんだよ」って。「いやでもさぁ、撮ろうよ」と篠田さんもひかない(笑)。そこは粘るんですよね。どうしても撮りたいでしょうね。なんか愛のある人だったなあ。


竹中:僕も篠田さんとは井筒和幸組でご一緒させていただきました。役者の芝居を見守ってくれるカメラマンでしたよね。お芝居を大切に撮ってくださるかたでした。今いないのが信じられないです。で佐々木原さんもそういう人です。僕の初監督作品を撮影中に、助監督から「こんな風な撮り方してたら終わらないぞ」って怒られたんです、「どうするの?このカット?諦めないと終わらないし、予算もないんだからタク送*も出せないよ」って言われてしまってね。そのときは諦めて「はい、分かりました…」と言ったものの、やっぱり諦めきれずに次の日に「やっぱり撮りたいです」と助監督に言ったら、「昨日撮らないって言ったよね!撮らないって言ったよね!」と追い込まれちゃって。するとそこに佐々木原さんが現れて、「何ブツブツ言ってんだよ。監督が撮りたいって言ってるんだから撮りましょうよ」って。佐々木原さんのその一言で諦めたカットを撮ることが出来ました。嬉しかったですね。もちろんその助監督は悪くないですよ。最初に「撮らない」って言ったのは僕ですからね。そして、そういう厳しい方がいてくれたからこそ、たくさんのことを知る事が出来ました。


*タク送:スタッフのタクシー帰宅。多くのタクシー代が発生するため、予算削減のためになるべく避ける傾向にある。





岩井俊二

1963年1月24日生まれ。宮城県出身。1988年よりドラマやミュージックビデオ等、多方面の映像世界で活動を続け、その独特な映像は“岩井美学”と称され注目を浴びる。1995年『Love Letter』で長編映画監督デビュー。代表作は『スワロウテイル』『リリイ・シュシュのすべて』『花とアリス』『ヴァンパイア』『ラストレター』等。2012年、東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」の作詞を手がける。2023年10月、『キリエのうた』を公開。国内外を問わず、多彩なジャンルでボーダーレスに活動し続けている。長編監督デビュー30周年を記念して、12月26日よりTOHOシネマズ日比谷他にて「IWAI SHUNJI Film Works 30th Anniversary 1995-2025」と題して過去作を上映予定。



竹中直人

1956年3月20日生まれ。神奈川県出身。学生時代には自主映画製作に没頭。多摩美術大学卒業後、83年に芸人としてデビュー。映画初主演は88年の『天使のはらわた赤い眩暈』。『シコふんじゃった。』(91)『EASTMEETSWEST』(95)『Shall weダンス?』(96)で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。続く96年のNHK大河ドラマ「秀吉」で豊臣秀吉役を演じ国民的俳優に。91年には監督業にも進出し、初監督作『無能の人』がヴェネチア国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。その後も『119』(94)『東京日和』(97)『連弾』(01)『サヨナラCOLOR』(05)『山形スクリーム』(09)『零落』(23)などの監督作を発表。歌手、イラストレーター、エッセイストなど多彩な顔も併せ持ち、26年に古希を迎える現在も常にアクティヴな活躍を見せている。



取材・文:香田史生

CINEMOREの編集部員兼ライター。映画のめざめは『グーニーズ』と『インディ・ジョーンズ魔宮の伝説』。最近のお気に入りは、黒澤明や小津安二郎など4Kデジタルリマスターのクラシック作品。


撮影:青木一成

ヘアメイク:和田しづか(竹中直人)、林摩規子(岩井俊二)



『Love Letter 4Kリマスター』

12月3日(水)4KリマスターBlu-ray&DVD発売

発売元 フジテレビジョン 販売元 キングレコード

©フジテレビジョン


『東京日和 デジタルリマスター』

12月3日(水)Blu-ray&DVD発売

発売元 フジテレビジョン/バーニングプロダクション 販売元 キングレコード

©フジテレビジョン/バーニングプロダクション

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